Japanese
Language
Decoded
真説・日本語の成り立ち
従来の"日本語の起源"を一蹴する明快な自然言語論
小学生にもわかる謎解きを解説!
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真説・日本語の成り立ち
従来の"日本語の起源"を一蹴する明快な自然言語論
小学生にもわかる謎解きを解説!
本サイトは 小林 哲 Satoshi KOBAYASHI, Ph.D.著
"日本語の起源 Japanese Language Decoded 第二版", ISBN 978-4-8020-8486-4,
半導体物理学者が解き明かした日本語の起源
Japanese syllabary revealed Proto-Japonic
日本語は独立起源
本サイトでは、いろは/五十音を構成するひとつひとつの音節が日本語の原始言語(祖語/プロト言語/proto-language)であることの発見について述べた著書「日本語の起源 Japanese Language Decoded」のダイジェストを記します。
日本語の音節「あ」「い」「う」「え」「お」…の各々には、単語としての確定的で固有の意味があったのです。日本語には、原始の言語がいわば暗号のように織り込まれていることを明らかにできました。この発見は自然言語の認識に大きな変革をもたらすことを期待させるものです。
今回の発見は、古くから用いられている単語いわゆる”やまとことば”(擬態語/擬音語/オノマトペ/onomatopoeiaも含む)の数々を集積して、それらの持つ概念と根源的な言語的意味内容(セマンティック・コンテンツ/semantic contents)を解析することで成されました。同一の音節を含む多数の単語に共通する概念を丹念に探索し、音節に対して帰納的に意味内容をあてはめ検証する作業を、矛盾の無い集束解を得るまで繰り返し、確定的な意味内容を導き出すことに成功しました。得られた音節の意味内容は時制も品詞の区別も無い、しかし、厳密な意味を表現しており、まさに祖語/プロト言語であると判断するに充分な合理性を与えるものです。
日本語話者の意識において、発声の最も基本的な構成単位は音節です。その音節が原始的な単語としての機能を持ち、複数連なって文章的な機能を担う”やまとことば”を構成していることは、日本語の原型が五十音の一音節一音節を意味のある単語として話す民族によって創られたことを示唆しています。さらに、個々の音節に割り当てられた意味内容の固有性と、文章的な機能を持つ”やまとことば”を構成する特徴的な形態から導かれる結論は、日本語の孤立発生/独立起源です。
アフリカ大陸を旅立った現生人類がユーラシア大陸を東方に移動すると同時に、発声によるコミュニケーションの手法も伝播したという仮説は、少なくとも日本語には当てはまらなかったのです。人類の辿った歴史の中で、音声言語は消失と再創出があった、すなわち多元発生があったことが強く示唆されます。
五十音を構成する各々の音節の意味内容を特定できたことを利用して、日本語のプロト言語の辞書(レキシコン/lexicon)を作り、諸説あった単語の語源を解き明かすと同時に本論の正しさを演繹的に確かめました。
音声認識、自動翻訳、人工知能などの自然言語を扱う情報処理技術分野では、日本語だけでなく世界各地の言語について語彙用例集(コーパス/corpus)の編成が盛んに行われています。言語の機械学習に用いる語彙の根拠の確かさは、学習結果の質に直接影響を与えます。しかし、日本語は他の言語と大きく異なり、その起源がはっきりしていませんでした。言語の起源がはっきりしないことで、語の成り立ち(語源)も曖昧なままで、根拠の薄弱な俗説が入り乱れ、さらにいわゆる都市伝説も紛れ込むことで、自然言語処理技術をミスリードするリスクが高い言語であったといえます。本書を通じてアラ探しをしているように、従来から使用されている辞書ですら多々改訂の必要がある事が分かってきました。
本サイトで記す理論を通じて、日本語の基本構造についての理解を得られるようになりました。日本語の最も基本的な構成要素を探り当てたことで、自然言語に関わる情報処理技術分野に多大な貢献をできるだけでなく、考古学、民俗学、文化人類学にも大きな価値を提供できるものと考えています。
古代に生きた我々の祖先が、人間が「唸り」=「ウ」[u]を「発する」=「イ」[i]ことを「言う」=「イウ」[i-u]と定め、動物の唸り声との決別に成功したことも推察できるようになりました。発声による表現方法を情報伝達に使えるほどに洗練させ、集団の中で共有し、伝承するために、わずか数十個の限られた数の発声にエッセンシャルな物、現象、物性、感覚を割り当てて、日本語の原型である原始言語を発明したことも分かるようになってきました。。
※本サイトでは、発声の歴史的・地域的なバリエーションや発声の変遷に対する解釈の違いによる混乱を避けるために、発音記号を用いずにカギカッコ付きのローマ字で発音を表記することにしています。
※「やまとことば」の「やまと」は厳密には、紀元後に日本列島に移入し西日本に勢力を拡大した民族のことを指しますので、それ以前から先住している民族の言葉を「やまとことば」と表現するのにはやや難がありますが、本記事では便宜上、古代から使われている日本語を「やまとことば」と総称し、他言語の影響を受けた語も含む「古語」と区別することにします。
※ 特許登録済
「情報処理システム、日本語の意味内容解釈方法及びプログラム」
Japanese Patent No. 7125794 (P7125794)
"Information Processing System, Semantic Content Interpretation Method for Japanese and Program"
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原始言語の辞書「レキシコン」を完成
日本語を流暢に操ることは、長期間にわたって日本語を使う環境に身を置いていたり、幼少期から慣れ親しんでいたりしないと難しいものです。単語が何重もの入れ子(ネスト)構造になっていて複雑なうえに、日常会話で頻繁に用いられる擬音語や擬態語の類も多数あり、さらに、古くから外国語の影響を強く受けているために外来語が多いことも理由として挙げられるでしょう。中国発祥の文字をネイティブの発声の”当て字(借字)”に用いて発達させた表音文字としての”かな”と、本来の用法に近い表意文字としての”漢字”の混用も特徴的です。発声上でも、漢字に音読みと訓読みがある上に、人名訓等の当て字にも寛容なので、ネイティブスピーカーにとってさえも難読な字が少なくありません。歴史的仮名遣いがもたらす発音の混乱も無視できません。
日本語の成り立ちを探る作業で、重要な鍵になったのは、日本語の発声の特徴です。子音と母音(言語学では音素/phonemeと呼ぶ)の組み合わせ方が基本的に”1つの子音+1つの母音”あるいは”1つの母音単独”の単純な構成(言語学では開音節/open syllableと呼ぶ)であるという強烈な特徴です。つまり、日本語は音節を明確に区切って喋られる言語だということです。多くの日本語話者には、語尾が子音の英単語でも、不要な母音を付け加えて終端させてしまう傾向があるのはそのせいです。”English”が[in-gu-li-shu]と発音されるのは、日本語話者にとっては自然なのです。
ところで、文字を持たなかったとされる古代日本において、ネイティブの日本語の発声に”当て字”として漢字の発音が当てはめられて”万葉仮名”が登場したことはよく知られています。ここで注目したいのが、”1つの音節”に対応して漢字”1文字”が1対1で当てはめられたことです。このことからも、古来、日本人にとって個々の音節を区切ることに重要な意味があったことがわかります。
具体的な説明は後述しますが、例えば「カガミ」と言う発声が当てはめられる「鏡」や「屈み/跼み」という言語表現は、現代語では物としてのミラーや前屈動作を意味する”単語”であると理解されています。しかし、今回の発見では、この語を構成する三つの音節「カ」[ka]、「ガ」[ga]、「ミ」[mi]は、それぞれが「苦痛/不快」、「前屈/オーバーハング」、「見る/見える」を意味し、三つの音節を連ねて「つらいほど前屈みになって見る」を意味する文章的な言語表現であることが解き明かされました。一つ一つの音節が言語としての固有の意味を持っていることを発見できたのです。音節をさらに音素にまで分解すると、例えば子音[k]、[g]、[m]等は単独では言語としての意味を持たないこともわかりました。前述のとおり、”五十音”や”いろは”と呼ばれる日本語を構成する音節群は、基本的に”1つの短母音”単独、あるいは”1つの短子音+1つの短母音”の組み合わせで出来ていますので、各音節は言語としての意味を持つ最小単位(言語学では形態素/morphemeと呼ぶ)であることが解き明かされたのです。つまり、日本語の言語としての意味内容を表現する最小単位としての形態素は、従来の考えに基づけば個々の単語であったのですが、実は、個々の音節であることが明らかになったのです。
中国語の基盤を成す個々の漢字[Hànzì]は、基本的に中国語固有の音節に対応している上に、自然言語を構成する意味の単位を成しています。本書で記す様に、日本租語の形態素が五十音を構成する”音節”であったことと共通する事実です。一つの単語と一つの形態素が対応するので、言語学の分類で言うところの孤立語(Isolating language)の特徴を持っているわけです。その上、形態素と音節が1対1の対応をしているので、日本語の成立と中国語との因果に飛び付きたくなります。しかし、このような言語の分類は、単に学問のための便宜上のものです。類型的に似通っているからといって、言語進化で同じ系統に属すると結論するには無理があります。何故かと言うと、本書で縷々記述する様に、個々の音節の発声や対応する意味内容は日本語の五十音に固有のものだからです。万葉仮名の成立過程では、文字の発音に拘泥しているものの、文字の意味には頓着していないことが容易にわかります。単に当て字として漢字が利用されたのは、文字と音節の1対1対応関係のみに注目した結果でしょう。”形態素/短音節の一意的関係性”という形態上の類似性は、原始言語に共通する特性である可能性も考えられます。
これまでは、日本語のいわゆる擬態語や擬音語、オノマトペを構成する音素は、曖昧ながら人間の感性や音感と結びついて選択されて慣用的に使用されてきた、という考えが日常生活でも学問の世界でも浸透していました。しかし、後述する様に”やまとことば”の単語と同様に、オノマトペを構成する各々の音節も、確定した固有の言語的意味を持つ形態素であることを明らかにできました。日本語のオノマトペを構成する音素は人間の感性が関連しているのでもなく、オノマトペが持つ音感で人間の感覚や心情、物の様子や物性を表現しているのでもないことが解ってきました。音節は原始言語の単語に相当し、それを構成する音素の選択は音感とは無関係だったのです。音節を連ねて構成されるオノマトペも原始言語の文章に相当する言語表現だったのです。例えば、「フワフワ」は「溝に足を踏み外す」という明確な意味を持った文章的な言語表現だったのです。
古くは、18〜19世紀の国学者による”音義説”と呼ばれる「日本語の音にはそれぞれ意義があるのではないか」という議論がありました。元々は言語の要素解析的な試みだったのではないかと推察できます。しかし、この議論も結局は音韻と語意/語感の相関を探る作業に終わり、個々の音に対応する確定的な言語としての意味内容を解明する作業に展開することはなく、”言霊(ことだま)説”のような精神論的な宗教に結びついて破綻してしまっています。現代のオノマトペに関する言語研究が、人間の感性の発露として音韻が選択された(つまり語感がいいから決まった)という誤った先入観に囚われて、逆の因果関係すなわち、オノマトペに対して抱く語感が話者の後天的な言語学習の過程で刷り込まれ培われ醸成された感覚である、ということには想到しえなかったのと極めて類似しています。
筆者が、古代の日本人が固有の言語を形作る過程で発明した五十音、ひとつひとつが固有の意味を持つ単語であるということを見出せ、個々の意味内容を確定できたのは実に幸運でした。
本サイトで述べる”日本語に隠されたコードの解読”のきっかけは、山[ya-ma]、浜[ha-ma]、沼[nu-ma]、火山の古語の浅間[a-sa-ma]等、地理に関連する多数の名詞に共通の[ma]という音節を見出したことです。
これらの単語群の意味内容を貫く共通概念が「大地/土地/地面/地表」だということ、さらにヒスイ等の玉「タマ」[ta-ma]もこれらの類型であることがわかり、「マ」[ma]の言語的意味内容=セマンティック・コンテンツが「鉱物」も含む「Earth/地」なのだと解ったのです。この音節「マ」[ma]の意味内容を解読できたことで、次々と雪崩を打つ様に他の音節に固有の意味も解読することに成功したのでした。
謎解きの作業はまず、[ma]という音節を持つ”やまとことば”を集めることから始められました。集められた語に共通する概念を抽出して、音節の言語的意味を仮定、各単語にフィードバックして、矛盾の無い意味が表現されるか確認する試行を繰り返すことで、古代人が定義した[ma]という音節の意味を解読できたのです。
[ma]と組み合わされて[ya-ma]を構成する「ヤ」[ya]という音節は、単独で「矢」や「屋」また「谷」にも見出せます。矢の先端に取り付けられる鏃(やじり)の鋭利な尖端を持つ形状と先史時代の竪穴住居が持つ円錐状の家屋の外観から、三角形や錐形が持つ「三角形状の射影」が共通概念であることが強く示唆されました。
しかし、「谷」はどうでしょうか?「三角形」の概念は見いだされるでしょうか?実は関東地方では「谷」は「タニ」を意味するのではなく「谷戸(やと)」を意味するという点が重要です。「ヤト」とは、なだらかな丘陵の間に形成された居住可能な扇状地を意味します。現在でも、東京や神奈川地方の地名に多くの「谷戸」を見出せます。小川が形成した平坦な扇状地の緩斜面を上ると、やや高い位置に居住地「里(さと)」が有るのが谷戸の典型的な形態です。矢や屋と同様に、「ヤト」も扇状地の形状のイメージを通じて「三角形」の概念を内包していることが分かります。音節[ya]と[ma]から成る語[ya-ma]は「三角形の地」を意味していたのです。
さらに「ヤト」の「ト」[to]は、長瀞(ながとろ)や登呂(とろ)にも見出せる[to]で、「平坦地」の意味と解読できたことから、[ya-to]は「三角形の平坦地」を意味するのだとわかりました。ちなみに、「トロ」の「ロ」[lo]は「社(やしろ)」[ya-shi-lo]や「白/城(しろ)」にも見出せる[lo]と同じで、「岩盤/岩塊」の意味であると解釈できます。つまり、「トロ」[to-lo]は「平坦な岩盤」、長瀞名物「岩畳」のことと理解できます。実にわかりやすいですね、もう謎解きが止まりません!
このように、多くの”やまとことば”の語彙/用例を集積してコーパス/corpusを作り、各単語の概念と矛盾の無い言語表現ができる一つ一つの音節の意味内容を同定した結果、音節「ヌ」[nu]は「粘性/ぬかるみ/泥」、「ハ」[ha]は「端/縁/時間的・空間的な終わり」、「ア」[a]は「熱感」、「サ」[sa]は「のぼる/差出す/差し渡す」を意味していることが解読できました。
これらの音節で構成される単語「ヌマ」[nu-ma]は「粘性+土地」すなわち「ぬかるんだ土地」、「ハマ」[ha-ma]は「端+土地」で「地の果て」、「アサマ」[a-sa-ma]は「熱感+昇る+土地」で「熱の立ち昇る地」を意味することが解読できました。また、里「サト」[sa-to]は「登る+平坦地」すなわち、「登ったところの平坦地」または「平坦地を登ったところ」の意味であることも分かりました。
※さて、集積したコーパスから帰納的に、個々の音節の表現する概念として説明ができる言語的意味内容を求めることができても、それだけでは十分ではありません。求められた音節の意味内容を用いて、演繹的に、”やまとことば”一般の意味内容を言い表すことができて、それらの語源を解読できることを確認できなくては、説の正しさを証明できたことにはなりません。
実際に確認してみましょう!
音節「サ」[sa]は、広く「上昇/飛行/放物/空間を隔てた所への移動」等、重力に抗する運動の概念と結びついていることを発見できました。その意味内容を現代語で表すと「上がる/のぼる/とぶ/移る/渡る/差し渡す」等が適当です。火山の古語「アサマ」[a-sa-ma]の[sa]は、火山の噴火時に高温の噴出物が立ち昇り、時には爆発的に舞い上がり、火山弾が放物線を描きながら遠くまで飛翔する様を意味していることがわかります。「サカ」[sa-ka]の場合の[sa]は、傾斜のある地形を「のぼる」ことを意味していると考えられます。余談ですが、「アサマ」の呼称は現代でも「浅間山(あさまやま)」に残っている一方、主に富士山を崇める火山信仰の宗教施設としての「浅間神社(せんげんじんじゃ)」にも見出せます。「浅間」が富士山の旧称としても用いられていたことは、その語源がわかると頷けます。
さて、もうひとつの音節「カ」[ka]は、広く人間の抱く「不快な感覚」の概念と強く結びついていると考えられます。例えば、刺されると単に皮膚が腫れたり痒みを引き起こすだけでなく、感染症の原因となりえることで古代でも忌み嫌われていたことが容易に想像できる昆虫の「蚊」は、その名がズバリ「カ」ですし、多数のマダニが体表に寄生することをハンターに嫌悪される動物の名は鹿(しか)[shi-ka]です。音節[ka]は「困難/苦痛/苦難/疲労/たいへんさ」等を意味していると考えられます。
二つの音節[sa]と[ka]をつなげれば、原始言語(プロト言語/祖語)としての直訳は「登る+苦痛」であることがわかります。原始言語には品詞や時制も無く、修飾関係の表現も無いうえに助詞の「てにをは」も無かったと考えるのが自然ですので、いかにもぶっきらぼうで直感的にも原始的な表現であると感じます。これを現代語に近い表現に意訳するなら「登るのがつらい(地形)」とでもするのが妥当だと思います。これが「坂」の本来の意味内容(セマンティック・コンテント)であり、語源だとわかります。
この様に、同定できた個々の音節の言語的意味内容を組み合わせることで、有史以来用いられている語の意味内容とも整合する語源を解明できることが示されました。他の”やまとことば”の語源も、縷々解読してみることにしましょう。
日本語の語源について説いた諸々ある俗説で、腑に落ちないものを見聞きしたことがあると思います。こじつけのようであっても、否定する論拠もはっきりなかったので、放置されるうちに皆さんが使う辞書にもいつの間にか載っていたりします。本書で記す成果を元に、どんどん語源を明確にできたらいいと思います。
まずは、「猿(さる)」[sa-lu]の語源です。俗説曰く「他の獣より知恵が勝る(マサル)から」って?既にとてもザンネンな感じが漂っています。「マ」は何処に行ってしまったのでしょうか。日本語の原始言語すなわち音節の意味を用いて解読してみます。「サ」[sa]という音節は「上がる/ 渡る/差し渡す」を意味します。「ル」[lu]という音節は「丸(まる)/胡桃(くるみ)/車(くるま)/樽(たる)」にも見出せ、円環状の射影の概念に結び付いた「円形/球形/輪/環」を意味すると考えられます。つまり、[sa-lu]の語源は「登る+輪」であると理解できます。ニホンザルが腕で輪を作り幹に抱きついて木登りする様子を表現していることがわかります。後述するように、音声言語以前に使われていたコミュニケーション手段であると想像されるジェスチャーで「ニホンザル」を表現しようとした時に取り得る典型的な形態であるといえます。
「去る」行動からこの動物の呼称を「サル」と称したと考えるのには困難があります。野生動物一般が、人間と遭遇すれば「去る」か「襲う」かです。特定の種類の動物に、この特性を以って名が付けられたと考えることには無理があると言わざるを得ないでしょう。
「カワ」[ka-wa]という発声を伴う単語には川/河あるいは革/皮があります。これらの語を構成する一つ目の音節「カ」[ka]は、「サカ」の[ka]と同様に「困難/苦痛/苦難/疲労」や作業の「たいへんさ」を意味内容としていたと考えられます。二つ目の音節「ワ」[wa]は、「壊す/怖い/咥え…」等、多数の語にも見出すことができ、「割る/割れる/割れ目/裂く/裂ける/裂け目」等を意味し、平坦な形状のものに作られた溝/亀裂/破壊の概念に繋がっていると考えられます。
水の流れる溝を意味する川や河は、「困難な割れ目」と表現されていることがわかります。「困難」を意味内容とする音節「カ」[ka]は、「割れ目/裂け目/溝」を意味内容とする「ワ」[wa]を修飾して、「人の進行を阻む溝状の地形」を表現していることがわかります。降雨等の状況に依存して変化する水流の有無/多寡には必ずしも頓着していない表現であることも分かります。
獣の皮革を意味する[ka-wa]の場合、「困難」を意味内容とする音節[ka]は、「割る/割く/裂く」を意味内容とする[wa]を副詞的に修飾して、「さくのが困難」を意味し、獣皮や乾燥した魚皮等、皮革の物性を表していることがわかります。
自らが愛着を持っている対象物に対する心情を表現する「可愛(かわい)」[ka-wa-i]にも[ka-wa]は現れます。後述する「発現する/出現する/発する」を意味内容とする音節「イ」[i]と組み合わされているこの語の本来の意味内容は「困難+割る+発現」であることがわかります。現代語で意訳すれば「とても壊すには忍びない感情が湧き出る」ことを表現しているわけです。
川/河と似ていても山地を流れ下る渓流は「沢(さわ)」と呼ばれます。「サワ」の発声を構成する一つ目の音節[sa]は「サカ」や「サル」に見出せる「登る」を意味内容とする「サ」ですから、音節[wa]と連ねた語の起源は「登る+割れ目」であることがわかります。傾斜地を流れる小規模の河川を意味する現代語の意味と通じていることがわかると思います。「流れ下る」ものなのに「登る」と表現されるのは、「沢」を表現しようとする者の居場所(視点)が傾斜地を見上げるところに位置しているからでしょう。「里(さと)」が「登ったところ」の平坦地を意味するのと同様です。
ところで、原始言語/プロト言語の特徴として、品詞の区別が無く、助詞に類する語「てにをは」が無い(孤立語と呼ばれる言語学上の分類に近い)ことは容易に推察されるので、現代日本語(膠着語と呼ばれる言語に分類される)で言い換えようとすると、対応する現代語のバリエーションが非常に多いように見えてしまいます。しかし、それらを包含する本質的な概念に着目すると事物、状態、物性、動き、感覚などの、単一の単純な対象を表現していることがわかると思います。
獣の皮は「カワ」ですが、人間の皮膚は通常は「肌(はだ)」[ha-da]と呼ばれます。この名称を構成する音節の「ハ」[ha]は「端/終わり」を意味し、「ダ」[da]は「渦巻き」を意味すると考えられます。これらを組み合わせた「ハダ」[ha-da]は「末端の渦巻き」つまり「指紋」や「掌紋」、「つむじ」を意味することがわかります。ヒトの皮膚を獣皮や魚皮と差別化するための特徴を的確に捉えて、名称に用いていることが分かります。縄文土器に多くの渦巻き文様が描かれていることを思い出す方も多いのではないでしょうか。本サイトに使用している写真の土偶の手にも渦巻きが彫られていますが、この「渦巻き」は縄文期の遺物に多用されているモチーフの一つです。古代人の意識に深く根差していたことが推察されます。
音節「ダ」[da]の意味内容が「渦巻き」であることは、現代では忘れ去られてしまっていたわけですが、今回の発見で、古代人が残した遺物の多くに描かれた渦巻き文様とともに、「クダ/ヒダ/フダ/シダ/カラダ/ダダ/アダ…」等、言葉の中にも多くの「渦」が残されていることが明らかになりました。自然言語の発生/発達の観点から、古代人の思考/精神世界の理解の一助になるに違いないと思います。
ところで、「ダ」[da]が「渦巻き」を意味するのであるのなら、「渦(うず)」[u-zu]という語の本来の意味は何なのだ?という疑問が生じることと思います。早速、解読してみましょう。一つ目の音節「ウ」[u]は「唸り(うなり)」を意味内容とすると考えられます。二つ目の音節「ズ」[zu]は「下垂/下垂状態/ぶら下がり」を意味内容とすると考えられますので、「ウズ」[u-zu]の直訳は「唸り+ぶら下がる」です。
つまり「ウズ」[u-zu]は、鳴門の渦潮や槽底から水を抜く際等に目にすることができる「漏斗状に渦巻き唸りを上げて流れ、吸い込まれる水」や、別の項で述べる竜巻のような「漏斗状に垂れ下がり、唸りを上げる気流」の状態を描写していることがわかります。
「渦巻き」を意味する音節「ダ」[da]の微かな痕跡が幼児のとる行動を表現する語にも残っています。自らの欲求が満たされないときに、繰り返し身を捻じったり捩ったり床や地面に寝転がって手足をバタつかせてグルグル動き回り騒ぐ様子を「ダダを捏ねる(こねる)」と言いますね。渦を巻くような身体の動きを「ダ」で表現し、「強調」を意味する音節「コ」[ko]と「音」を意味する音節「ネ」[ne]を用いた「強い+音」を意味する表現の「コネ」を結びつけて表現されています。食材や粘土などを「捏ねる(こねる)」の[ko-ne]も「強い+音」が語源と考えてよいでしょう。
身体の腹部を意味する「お腹(おなか)」[o-na-ka]は、常に「オナカ」と発声されます。「ナカ」と発声されることはありません。一つ目の音節「オ」[o]は敬語を構成する接頭語の「御」を意味するものではないことが分かります。似た言葉に「オナラ」[o-na-la]があります。「オナカ」と同様に、「オ」を端折って「ナラ」と発声されることはありません。現代語にもその音韻が残っているように、音節「オ」[o]は数/量の「大きい/多い」を意味内容とするプロト言語であったと考えられます。
二つ目の音節「ナ」[na]は「音の発生」を意味内容とすると考えられます。現代語の「鳴る」の「ナ」にも音韻が残っていますし、「菜(な)」は可食の草の葉を食べる際に発生する「咀嚼音の発生」から派生した名称と考えられます。これらの「大きい」と「音がなる」に、「苦痛」を意味内容とする音節「カ」[ka]を組み合わせることで、「オナカ」を「大きな音が鳴ると空腹感や腹痛などの苦痛を生じる部位」と表現していることがわかります。
「オナラ」の「ラ」[la]は「空気/気体/空間」を意味すると考えられますので、[o-na-la]は「大きな音が鳴る気体」を意味すると解読できます。
「ナズナ」[na-zu-na]」いわゆる「ぺんぺん草」に現れる二つの音節[na]も上述の「音が鳴る」と「(葉もの)野菜」の両方を意味していると考えられます。二つ目の音節[zu]は「ぶら下がり/下垂(状態)」を意味しますので、ナズナの名は「ブラブラが鳴る菜っ葉」という意味だと分かります。実に分かりやすく「ぺんぺん草」のことを表現していたことがわかります。「撫(な)で菜」や「愛(め)ずる菜」が語源であるという様な類の無理な解釈は必要なさそうです。
植物に関連した語では、「花/華(はな)」にも[na]が含まれます。「野菜」を意味する[na]と「末端/時間的終わり/空間的な終わり」を意味する[ha]を連ねて、「末端+野菜」と表現していることが分かります。古代には、花は食用にも供する物との認識が支配的だった可能性が示唆されます。”菜の花”はエダブル・フラワーですね。
「角/隅、炭/墨、住み」どれも「スミ」[su-mi]です。現代語で、果物や野菜の内部にできた空洞を意味する「す」に名残を見出すことができる音節「ス」[su]が「不可視/透明/消失」を意味内容とし、「ミ」[mi]は「見る/見える」ことを意味内容とする音節であることを突き止められたことで、現代語では同音異義語とされているこれらの語群が同じ語源を持つことを発見できました。「スミ」[su-mi]の直訳は「消失+可視」、意訳すれば「見えるモノが消える」となります。すなわち「不可視化/消えること/見えなくなること」を意味内容とする原始語であることがわかります。
炭や墨で塗りつぶしたり、通過したものが隅や角に入ったり身を潜めれば「スッとミえなく」なります。「住み」が、家に入ることで他人の目から消えることだったいうのは、ちょっとした発見です。「終了」を意味する「済み」は、現代語でも「消える/消す」というニュアンスを含んでいます。
「スミ」の語頭に「粘性」を意味する音節「ヌ」[nu]を付加して構成される語「ヌスミ」[nu-su-mi]は、現代語では窃盗や盗作などを意味内容とします。「ヌマ」[nu-ma]が「粘性+地」と表現されていたように、「粘性+不可視化」と表現されるこの語の「ヌ」も「泥」を含む粘性流体の概念と結び付いていたことは想像に難くありません。つまり、「粘性+消失+可視」を意味する語[nu-su-mi]は、物体が泥等の粘性流体に埋もれ見えなくなることを表現していたと考えてよいでしょう。
ところで、その泥様の物質に埋もれて不可視化する物体は何か?が問題ですが、現代語に窃盗をはたらく者を指す「泥棒」という呼称が残っているように、浅い河川・湖沼で舟を漕ぐための「棒」である棹は、泥に盗られる物のイメージによく適合します。船頭が「差した棹を泥に盗られて見失うさま」を表現したのが「ヌスミ」という古代語の本来の意味だったのでしょう。この本来の語意が人々の間で認識され、かつ、漢字の音訓読みが認知されたような過渡的な時期に、漢字を導入した代替表現としての「泥棒」が生まれたのだと考えられます。
霧や煙などで光が散乱され、視野がぼやけることを意味する現代語の「霞(かすみ)」や発酵・醸造品の沈殿物・残渣を意味する「粕/糟/滓(かす)」の語頭に現れる[ka]は、それに続く[su]や[su-mi]に否定的に係って「不可視が困難」つまり「透き通らない」を意味していると考えてよいでしょう。
言語表現の対象物が発酵液であれば、透明な成分や上澄み等が「ス」や「スミ」で、溶解しない沈殿物や視覚的に濁りを生じさせるコロイド状に分散する成分は「カス」ということです。事実、麴や酵母を用いて発酵させた醸造酒の「もろみ」は、発酵槽の底部に沈殿物を湛えたり、懸濁した不透明な状態を呈します。この段階で酒を絞った残渣は「粕(かす)」と呼ばれます。酒のもろみの発酵が更に進むと、好気性の酢酸菌が発酵液の上部に繁殖し、酢酸膜と呼ばれる膜を形成します。その膜の下に滞留する透明度の高い淡黄色の液が「酢(す)」と呼ばれるようになったことは、[su]と[ka-su]という語が包含する概念とたいへんよく整合します。二つの音節[ka-su]の順を入れ替えた[su-ka]については、別の項で述べることにします。ちなみに「モロミ」[mo-lo-mi]は、発酵槽(樽)の内部を覗き込むと「底」に堆積している沈殿物の「塊」の「外見」を「地底+岩塊+見える」つまり「地底の岩塊のように見える」という意味内容の音節を連ねて発声されていることが分かります。
「罪と咎」です。罪(つみ)[tsu-mi]と咎(とが)[to-ga]は、現代語ではほとんど同じ意味で使われています。その違いは?というと、法的な罪悪と道徳的な背徳の違いであるとか、広義と狭義の違いである…とか、かなり怪しいです。
日本語のプロト言語=各音節の意味内容を用いて解読してみましょう。「指す/刺す/貫く」を意味する「ツ」[tsu]と「見る」を意味する「ミ」[mi]が組み合わされて、「ツミ」[tsu-mi]は「指さして見る」という意味であることがわかります。一方、「平坦な土地」を意味する「ト」[to]と「屈む/前屈する」を意味する「ガ」[ga]が組み合わされた「トガ」[to-ga]は、「平らな場所で前屈みになる」いわばガッカリと「お白洲でうな垂れている」様子の描写であることがわかります。現代では平坦な地面はごく普通に目にできますが、砂漠や土漠でもなければ、氾濫原や泥沼でもなく草木も生えずに岩が転がってもいない凹凸の無い地面は、ほとんど人工的に整地されたもの以外はありません。先史時代に、こうした草木も生えていない平坦地の内で宅地に供されたもの以外は、いわゆる広場”square”であったと考えていいでしょう。
つまり、[tsu-mi]は指さして”罪人をとがめる側”を用いた表現で、[to-ga]は公の場所でうなだれて”罪を責められる側”を用いた表現だという理解は十分に合理性があると言えます。表現に用いられる人物の立場の違いだったのですね。
「はらわた」って、なんで「ワタ」なんだろうって思ったことありませんか?フワフワの「綿」とナマなイメージの「内臓」が同じ[wa-ta]って...。音節の意味を解明できたことで、この疑問に対する明快な回答を得られました。
「カワ」[ka-wa]のケースと同様に、音節「ワ」[wa]は「割く/割る/裂け目/割れ目/溝」の意味内容を表すと考えられます。一方、「タ」[ta]は「持ち上げ/掲げ」を意味すると考えられます。つまり、「ワタ」[wa-ta]を直訳すると「裂く+掲げる」となり、意訳すれば「裂いて持ち上げる(取り上げる)もの」を意味することがわかります。たしかに、綿花は裂けた実からフワフワのワタをつまみ上げますし、屠った動物の裂いたお腹からはハラワタを取り上げます。これも、本書に記す個々の音節の意味の正しさを明確に示す演繹的な成果の好例の一つです。
古来、日本を含むアジアで食用にされてきた芋には、ヤマノイモ(ヤマイモ)やサトイモの類があります。ヤムやタロです。先史時代に「イモ」と呼ばれていたものは、この類の芋を指すと考えてよいでしょう。
「イモ」の一つ目の音節「イ」[i]は「発現する/出現する/発する」を意味内容とし、二つ目の音節の「モ」[mo]は、「地下/地中」を意味内容とすると考えられます。原始語としての「モ」[mo]は、「大地/地面/地表/鉱物」を意味内容とする「マ」[ma]と対を成していると考えられます。いわゆるオノマトペ(擬態語)の一つとされてきた「マァいいんじゃない?」とか「モッと頑張ろう!」にも現れる「マ」と「モ」です。地表面を基準にして「マ」は標準、「モ」が下位に有ると考えている訳です。物事の良し悪しを、位置の高低を比喩として用いた表現であることがわかります。
ところで、二つの音節「イ」[i]と「モ」[mo]を連ねて構成される「イモ」[i-mo]の意味内容・語源は「地下に出現するもの」であることは簡単に分かります。「イ」は現代語の「居る」の「い」としての印象が強く、「存在する(existやpresent)」と誤解されやすいので注意が必要です。
「大地/地面/地表/鉱物」を意味する「マ」[ma]と「地下/地中」を意味する「モ」[mo]は、「熊(くま)」[ku-ma]と「蜘蛛(くも)」[ku-mo]、の名にも見出せます。音節「ク」[ku]は「食べる/食べ物」を意味すると考えられます。この場合の現代語訳としては「喰う」が適当でしょう。「熊」は「地表+喰う」を語源とし、現代語に意訳すれば「地上の捕食者」でしょう。「蜘蛛(くも)」は「地中+喰う」が語源で、特に地中に穴を掘って巣を作る「地蜘蛛(ぢぐも)」は「地中の捕食者」という意味と解せます。
熊は脊椎動物で蜘蛛は節足動物と、種も全く異なれば形状も大きさもかけ離れていて、一見すると何の繋がりも無いように思われますが、実は、共にそれぞれの生息領域では食物連鎖の頂点に位置します。客観的な自然観察に基づいて、観察対象の特性が科学的・的確に理解され、共通する概念と差別化の概念を導いて言語表現に展開していることが分かります。
緒言で触れましたように、人類が自らの発する「うなり声」にバリエーションを持たせ、個々のパターンに異なる意味内容をあてはめ、物事や意思の概念を他者に伝達する手段にすることを発明した証拠と思われる「イウ」[i-u]という言葉です。
まさに動物のうなり声/吠え声が言語に進化した時の記憶が、この語に刻まれているのだと思います。「ウ」[u]という発声は、動物のうなり声を模倣したものと推察されます。人類の始原の発声もこれに近かったことも容易に推察されます。この音節の意味内容が「うなり声/吠え声」であることに疑いはありません。もう一方の音節「イ」[i]の意味は、「発現する/出現する/発生」です。二つの音節を連ねた「イウ」[i-u]で、「うなり声を発する」という意味内容を表現していることがわかります。
母音を二つ連ねて発声する必要があるために、言葉を話し始めるころの幼児が[i-u]の音声の聞き取りや発声のエラーに起因して、「ユー」[yu-u]と発声することは珍しくありません。当然、言語の伝承過程でも、何等かの補強がなければ、このエラーが蓄積して「ユー」が標準の発声となっていたとしても不思議ではなかったはずです。しかし実際には、語源が忘れ去られてしまっている現代でも、発声しにくい「イウ」が伝承されています。
日本祖語の形態素である各音節を明確に区切って話すためには、二つの母音が連なる発声、いわゆる二重母音には高いリスクがあるといえます。突然ですが、歴史的仮名遣いの「は/ひ/ふ/へ/ほ」は「わ/い/う/え/お」と発音するのだということを学校で教えられます。この奇妙な理屈に多くの生徒は面食らいます。しかも、「古代人はこのように発音していた」的なトンデモ理論にかかわる悶着もあって、日本語の学習者は混乱させられてしまいます。元々は、母音単独の音節の前に無声摩擦音と呼ばれる人声の中でも特に音量が小さい子音である[h]を付加する(要するに「フッ」と一呼吸置く)ことで、二重母音が作られないようにし、本来の音節を明確に区切って発声するできるように誘導する矯正プログラムであったのだと解せます。[i-u]を構成する二つの母音の間に子音[h]を付加した仮名表記「いふ」もその一つでしょう。
「高/貴/鷹」の[ta-ka]という発声は、「タ」[ta]と「カ」[ka]という二つの音節からなりますが、同じ音節を入れ替えた「カタ」は現代語では「肩/硬/型」の意味で用いられます。前出のように、音節[ta]は、手/腕/物を「持ち上げ/掲げ」を意味内容とし、音節[ka]は「困難/苦痛/苦難/疲労/たいへんさ」を意味内容とします。つまり「タカ」の語源は「あげる+つらい」であることがわかります。現代語で意訳すれば「(手や物を)挙げるのがつらい(位置)」とでもするとよさそうです。音節の順を入れ替えた「カタ」の語源は「つらい+あげる」であることがわかります。意訳としては「(手/腕/物を)あげるとつらい(体の部位/物)」とするのが妥当でしょう。「つらくなる」主体でも、重量物等の「つらくする」原因でも、同じ「ka-ta」を用いて表現していることから、音節の配列順序は、慣用的に規定されていたことが推察されます。
「カネ」[ka-ne]という発声は「金属の金(かね)/鐘」や「〜出来ない」ことを表現する「~しかねる」にも見出せますし、何か「他の事といっしょに行う」ことを意味する「兼ねる」にも現れます。この語は「困難/苦痛/苦難」等の不快な感情の概念に結び付いた音節「カ」[ka]と「音(おと)」を意味する「ネ」[ne]が組み合わされてできているので、その語源は「不快+音」であることが簡単に分かります。
古代日本において、青銅を中心にした金属器が導入された時期に、それまで知り得ていた素材と異なる新素材を表現する呼称として、その素材の特徴的な物性を用いたことは容易に想像できます。金属を特徴付ける物性としては、金属光沢や展性・延性(現代では電気の伝導性が重要ですが)もありますが、これらの性質の有無を検証するには当時貴重であったはずの金属を削ったり変形させたりする所謂破壊検査が必要です。つまり、あるモノが金属か否かを確かめる一番簡易で確実な非破壊の手法は、軽く叩いて金属音を発するか否か確認することだった筈です。それ以前に馴染みの無かった金属音を「不快音」と表現して対象物の呼称としたことは極めて合理的だったと思われます。
「カネ」[ka-ne]の発声の意味内容が現代語の「できない」ことや「兼業する」ことに展開したのは、「苦痛で音(ね)をあげる」ことに由っていると強く示唆されます。
音を出す道具であっても鐘とは構造が大きく異なるので、その名称も明確に区別されている「鈴(すず)」[su-zu]があります。縄文時代の遺跡からも「鈴」が発掘されることがあります。縄文土器と同様の材料と工程で作られた素焼きの土鈴で、空洞の内部に素焼きの玉や小石が入っているものが多いようです。鈴の発声「スズ」[su-zu]の「ス」[su]は「不可視/見えないこと/見えなくすること/消えること」で、「ズ」[zu]は「ぶら下がり/下垂」を意味内容とする原始語です。つまり「スズ」の語源は「ぶら下がっているものが(見え)ない」ことを意味するのだと解せます。確かに、ベル/鐘/銅鐸はぶら下がった物、すなわち舌(ぜつ)や鐘撞きで叩いて音を出す構造ですが、鈴にはそれが無いことは特徴的です。
ぶら下がっている物が付いた形態から進化して、現代でも神具として用いられる「鈴」を発明するプロセスが、数千年以上前にあった可能性も考えられますが、鈴は金属製で舌を持つ「カネ」が導入される以前には別の名称、例えば現代では乳児用の玩具の名称である「ガラガラ」と呼ばれていて、後に区別するために「スズ」と呼ばれるようになった可能性も考えられます。「ガラ」の発声[ga-la]の意味は「前屈+空間」と解せ、つまり「(粘土を)覆い被せて空間(を作る)」ことを意味していたと考えることができます。鈴の製造工程や構造との整合性は高いといえます。
「珠洲(すず)」は神具の「鈴」と同様に「消失+下垂」を語源として、「振れを消し去る」つまり「地震の終息」のセマンティックに通じることから「地鎮」を意味する地名とされたと考えられます。
柳田國男が導出したと言われる、ハレとケという対立概念について考えてみます。古代から日本語には「常態」や「日常」を意味する「ケ」という概念が有り、それと対を成す「非日常」の概念として「ハレ」があるのだという解釈は柳田國男以来、民俗学では広く受け入れられているようです。
「オケ/ガケ/タケ/シケ/サケ/ハケ」など、音節「ケ」を含む多くの”やまとことば”を集積して、これらに共通する意味内容を解析してみると、「ケ」[ke]は縁がせり上がった桶(basin)状の形状や物、崖のようにそそり立つ形状/地形/構造を表す、という結論を得ることができます。
崖(がけ)[ga-ke]は「オーバーハング」を意味する[ga]と「そそり立つ地形」を意味する[ke]で構成されています。似たような地形でも、主に河岸段丘の末端の段差にある崖「ハケ」[ha-ke]は、「ケ」に「端」を意味する「ハ」[ha]を連ねて、連続する段丘が途切れる端部の特徴的な地形を表現していることが分かります。この地形を表す名は、現在でも多摩川の河岸段丘の崖にある湧水地に残っています。また、「桶」[ke]の中で発酵して発泡することで「盛り上がってくる」[sa]ものだから醸造酒類が「サケ」[sa-ke]と称されていることも分かります。「竹(たけ)」は、中空の構造が節で区切られているために、現代でも筒状の液体容器として使用されることがあります。小さな桶状の構造と急速に成長する特性をともに表現して固有の名称とするために、「桶状構造」を意味する音節「ケ」[ke]と「掲げる」ことを意味内容とする音節「タ」[ta]と組み合わせて、「タケ」[ta-ke]と呼ばれたことがわかります。「広がり/海」を意味する「シ」[shi]が激しく波打ち、そそり立つ「ケ」[ke]ほどの荒天である状態なので「時化(しけ)」[shi-ke]という呼称が用いられるようになったことは分かりやすいですね。
ケガレ[ke-ga-le]という言葉の語源は、「そそり立ち/桶状構造」、「オーバーハング」、「収束/結束/集積(物)」を意味する三つの音節「ケ」[ke]、「ガ」[ga]、「レ」[le]が連ねられて、「オーバーハングになるほど積み上がった集積物」を表現しているのだとわかります。必ずしも、穢れていたり汚れていたりするわけではなく、大量に積み上げられたガレであることがわかります。「池(いけ)」[i-ke]も穢れや汚れとは関係なく、「出現する」を意味する「イ」[i]と「ケ」[ke]が連ねられていますので、「(水が)出る桶状形状(の地)」が語源となっていることが簡単に分かります。
一方の「ハレ」[ha-le]は、「端」や時空の「終わり」を意味内容とする音節「ハ」[ha]と、「集積」を意味内容とする音節「レ」[le]を組み合わせて「物事の終結/収束/収斂/終息」を表現していることがわかります。時を経る内に、デスパレートな状態に対応する「ケ」が「常態」を意味するように変化していき、「収束」を意味する「ハレ」が「寿ぎ(ことほぎ)」に通じる言葉として浸透してきたのであると理解できます。
この「晴れ」に深く関連する「寿ぎ」。「コトホギ」の発声は「とても/まさに/たしかに」を意味する音節[ko]、「平坦地」を意味する[to]、「突起物」を意味する[ho]、「禾(のぎ)」を意味する[gi]が組み合わされているので、「この地の穂に籾(が実る)」という意味内容を表現していることがわかります。つまり元来「豊穣」を意味する語だったと考えていいでしょう。後世、前半の「コト」が「言葉」を意味すると取り違えられて、「言葉で祝福する」という意味に転じていったことが強く示唆されます。
強調や特定、確信の概念と強く結びついた音節「コ」[ko]と、桶状構造を意味する音節「ケ」[ke]を組み合わせて発声される「苔(こけ)」の名称[ko-ke]は、葉状体と呼ばれる平らな器官の上に無性生殖のための杯状体と呼ばれる”極めて小さい桶”状の器官を多数形成する「ゼニゴケ」の特徴的な形態から名付けられたと考えられます。
「助け/救け/援け(たすけ)」[ta-su-ke]は、「手を挙げる」を意味する音節[ta]、「消える」を意味する音節[su]と「崖」を意味する[ke]が連ねられて構成された、「手を上に伸ばして崖から救い上げられる」様子を表している語であることが簡単に分かると思います。日本語の成立期の日常「ケ」は、救い出されたい対象であったようです。
同じようなモノなのに、その区別がとても怪しい解釈に基づいている「社(やしろ)」[ya-shi-lo]と「祠(ほこら)」[ho-ko-la]です。俗説では、大きいのがヤシロで小さいのがホコラである…とか、ホコラはホクラ(神庫、宝倉)より転じた語である…とか、またまた怪しさ満載です。
早速、これらの語の起源を解き明かしてみましょう。冒頭で触れましたとおり、「ヤ」[ya]は「家屋/ 矢」の「三角形/錐形」を意味することが解き明かされました。「シ」[shi]は「広がり」、「ロ」[lo]は「岩盤/岩塊」を意味しますので、ヤシロの語源は「広い岩盤上の建物」あるいは「岩盤上に広がる建物」であることがわかります。つまり、「ヤシロ」は礎石上に建てられた建造物の呼び名だと考えられます。礎石が用いられる以前の、竪穴住居や掘立柱建物のように「木」を基礎に用いた建物を、「建造物+広がる+木」すなわち「ヤシキ」と表現したこととの対比の意味があったのでしょう。
一方、「ホ」[ho]は「突起物」を意味すると考えられ、「コ」[ko]は英語ならvery, just, precisely, exactly, right, thisに相当する「とても/まさに/たしかに/じつに/〜べき」等の強調や確信を意味する音節で、「ラ」[la]は「空間/空気/気体」を意味すると考えられますので、これらを連ねた[ho-ko-la]は「まさに突起物のための空間」ということです。つまり、ホコラは「専ら石神(石棒)を祀るべき空間/建造物」であることが解ります。今では希少な存在になってしまっていますが、神社の摂社やは道祖神、馬頭観音と共に辛うじて残っている石神を祀った祠の姿と矛盾しません。
[ku-la]は「食物+空間」すなわち「食物倉庫」が語源と考えられますので、ホコラがホクラから転じた語であるという説の正当性は薄いです。他の項で述べる様に、音節[ku]には、「食べること」という概念に含まれる「食物」と「食べる」の両方の言語的意味が内包されていると考えられます。
「技(わざ)」と「術(すべ)」は「技術=technique, skill」という共通した意味内容でも使われるものの、微妙にニュアンスが異なります。これらの発声は繰り返されることで「スベスベ」や「わざわざ」といった修飾的な語としても用いられます。
「スベ」[su-be]に表れる音節[be]は、「潰す」ことを意味内容とします。後述するようにカイガラムシを潰して得られる赤色の色素(コチニール等)が「紅(べに)」[be-ni]と表現されるのは、殻をもつ生物の総称「ニ」[ni]を潰して得ることに因るという理解は、この音節の言語的意味内容の解釈に強い説得力を与えています。
この[be]と「消える」ことを意味内容とする音節[su]が組み合わされた「スベ」[su-be]の語源は、高い「技術」があると構造物を堅牢に作れるために「潰れ」[be]ることが「無くなる」[su]こと、つまり「潰れない」であることがわかります。同様に、「潰す」[be]のが「困難」[ka]な構造物は「壁(かべ)」[ka-be]であり、腕を「掲げて」[ta]、口で「潰す」[be]ので「食べ」[ta-be]と表現されるようになったことも明らかでしょう。「食べる」の典型的なジェスチャー表現そのものとよく一致します。
「スベ」の語源が「潰れない」ですから、オノマトペだと信じられてきた「スベスベ」の本来の意味内容は「潰れない、潰れない」であることがわかります。後世、皮膚上で潰れるような痤瘡(ニキビ)が無い、あるいは潰れた痕の痘痕(アバタ)が無い肌のように、円滑な表面を表す語として定着したものと考えられます。
一方、「ワザ」という発声は、「割る/裂く/割れ目」を意味内容とする音節[wa]と「荒い/粗い/ギザギザ」を意味内容とする音節[za]が組み合わされているので、その語源は「割ってギザギザにする」であることがわかります。旧石器時代から縄文時代に多用されていた打製石器は、黒曜石やフリントを”ナッピング”と呼ばれる”打ち欠き”の手法で作られます。原石を大まかに「割った」後、少しずつ「打ち欠く(チッピングする)」ことで細かなギザギザを有する鋭利な刃を形成するのです。これは、まさに「割ってギザギザにする」工程です。優れた刀剣を指す現代語「ワザモノ」に、刃物の工程を意味する原始語[wa-za]の名残を見出すことができます。
高いスキルを要したに違いないこの製作工程を施すのは、たしかに相当な手間であったに違いありません。職人が「ワザワザ」手間暇かけて行う必要があったのだと考えられます。
「御神札」神道のお守り=フダ[fu-da]の起源を解明してみます。この語を構成する2つの音節の意味は、それぞれ[fu]=「踏む/押し付け/型取り」、[da]=「渦巻き/巻かれた物」です。これらの意味内容から、指紋の採取が直感的に推察できます。つまりフダは「手型/足型」です。
事実、東北・北海道の縄文期の遺跡から、手や足を粘土版に押し付け、痕をつけて焼いた「手形・足形付土版」が発掘されています。
素焼きの粘土版に遺された明らかに小さな足型は子供のものに間違いないでしょう。紐を通していたと思われる穴が空いています。持ち主は、この足型をいつでも見られるようにしていたことも間違いないでしょう。綺麗に装飾された足型を身近に置いていて、持ち主本人の最期には、墓に一緒に埋葬させた。写真も肖像画も無い時代に、亡き子の存在の証をとどめる手段だったのでしょう。時代を経て、お守りを表す語になったのも頷けます。「形見」と同じ起源なのだと思われます。
古代日本に暮らした人々が手の渦巻きに拘っていた理由は、故人の「形見」である「フダ」の名称に[da]を謳っていることも考えると、縄文時代にはすでに、指紋・掌紋で個人を識別できると認識されていたことによる可能性も考えられます。
「ふみ」[fu-mi]という発声は漢字「文」を対応させて、「文章/手紙/文字」の意味で用いられます。この語を構成する2つの音節の意味は、それぞれ[fu]=「踏む/押し付け/型取り」と[mi]=「見る/見える/可視/類似」です。「フダ」[fu-da]がそうであったように、「フミ」も基板に体や物を押し付けたり、道具で刻む行為等を施して形跡を残すことに関連している可能性が容易に推測されます。単に「踏んで見る」動作だけでなく、何らかの情報の伝達が関わっていたはずです。音節[mi]は動作としての見ることだけでなく視覚的な認識のシステム全体を示すと考えられます。英語の”see”と同様に、視覚と同時に意味の理解と結びついた概念を表現していると考えられます。
「形見」の起源であった「フダ」が故人の象徴であったように「フミ」は、例えば土器の基材である粘土に何らかの意味の象徴を刻んだものを指していたと考えられます。縄文文化には文字は無かったという考えが定説になってはいますが、言語的象徴としての「フミ」の存在は、情報の伝達や共有可能な意味(セマンティック)の表現に用いられた刻印様の記録の存在を強く示唆しています。
辞書に書かれている語源/名の由来がとっても怪しいもの、ここでは「シダ」[shi-da]を取り上げます。山菜でお馴染みのゼンマイやワラビ、コゴミ等の「羊歯(しだ)植物」です。
ほとんどの語源辞典には「葉が広がるとシダレることから」とあります。これは葉を広げる植物種の全般に共通して言えることです。語源の説明としては怪しさ満載です。...というわけで、日本語のプロト言語 で簡単に解読してみます。
シダ[shi-da]の一つ目の音節[shi]は「広がる/広がり」を意味すると考えられます。二音節目の[da]は、伝説の巨人「ダイダラボッチ」や御守りの「札(ふだ)」[fu-da]の[da]と同じ「渦巻き/巻物」を意味すると考えて良いでしょう。つまり、これら二つの音節から成る[shi-da]は「渦巻きが広がる」という意味の表現だとわかります。シダ植物の渦巻き状の葉芽が徐々に広がって葉を形成するという、この種の植物の最も特徴的な形態変化を的確に表現していることがわかります。「枝垂れ」という語は、後世になって枝の音読みが定着してから作られたものと思われます。
鹿(しか)の体表には多数のマダニが寄生するので、それを狩人に嫌悪されていることに起源して「広がり/海などの広がりのあるもの」を意味する音節[shi]と「不快/困難/苦難」等を意味する音節[ka]を連ねて、「広がり+不快/困難」の意味内容を持つ[shi-ka]という名称で呼ばれているのだと本記事の冒頭で述べました。鹿の体表に広がりヒトに対して感染症を媒介する生物を表現している音節は「蚊」と同じ[ka]であるわけです。
一方、現代語では、この生物自体は「ダニ」[da-ni]という名称で呼ばれています。この語を構成する一つ目の音節[da]は「渦」を意味し、二つ目の音節[ni]は、外骨格を有する節足動物や貝類等の「殻を持つ生物」を意味すると考えることには極めて高い合理性が認められます。これらの音節を組み合わせた[da-ni]が生物としてのダニの生体を表現しているのであれば、鹿の名称は「広がり+ダニ」を意味する[shi-da-ni]であったはずではないかという疑問が生じてくるのは当然です。
しかし、古代から鹿の名称は[shi-ka]であり、ダニは[da-ni]であったと考えられます。はたして鹿に寄生するのは[ka]なのか[da-ni]なのか?結論を急ぐと、実は[da-ni]は生物としてのダニの生体を意味内容とする語ではなかったと考えることに理がありそうなのです。ここで、あらためて[da-ni]の本来の意味、語源を解読してみることにします。
そもそも、[da]が表現する「渦」の概念は「ダニ」に如何に包含されているのでしょうか?ヒトの頭にたかる寄生虫を意味するために、音節[da]を用いて「つむじ」を表しているのでしょうか?だとすると、この語の表現対象は「アタマジラミ」の類だったということになってしまいます。昆虫類に属するアタマジラミは、クモ類のマダニとは種も異なれば、独立した「シラミ」という呼称もありますので、古くから異なる種類の生物だと認識されていたと推測されます。しかも、[da-ni]の[da]がヒトのつむじを表すという仮定に立つと、ダニが主に野生哺乳動物に寄生する生物であるという観念と矛盾してしまいます。
この矛盾を解く答えには、古代人がこの生物に関して[ka]という言語表現を用いた理由に立ち返ることで到達できそうです。ダニは感染症を引き起こす多種の病原体を媒介することで知られています。古代でも「ヤマイ」[ya-ma-i]すなわち「山で発現するもの」の元になることが広く認識されていたと思われます。[shi-ka]に現れる音節[ka]が意味する「困難」が、ダニが媒介する感染症がもたらす「病苦」であると考えてみます。ダニが媒介する感染症の中でも、特徴的な症状を示すライム病は代表的なものの一つです。ヒトがライム病の病原体である細菌(ボレリア)に感染し発症に至ると、その初期にはインフルエンザ様の諸症状を生じるとともに、マダニの刺咬した部位を中心に同心円の環状の紅斑を生じ、漸次、皮膚上を広がってゆくような症状を呈します。螺旋を描いてはいないものの、ライム病で生じる紅斑はまさに渦や波紋を想起する病変といえます。現代のような感染症の概念がなかった古代においても、極めて特徴的な環状をなす紅斑の発現は、その後に生じるかも知れない脳脊髄炎を含む多様な炎症による深刻な症状の予兆として、恐怖の対象であったに違いありません。
音節[da]で表現されるライム病の初期症状が、節足動物を意味する[ni]で表現されているマダニによってもたらされる病であるという因果関係は古代でも十分に認識されていたことに疑いはありませんから、[da-ni]の呼称がライム病やダニによって媒介される感染症を意味していたと考えることには十分な合理性があります。忌まわしい病気の媒介生物の呼称は[ka]であって、鹿が[shi-da-ni]ではなく[shi-ka]であったことも合点がゆきます。
「肌(はだ)」にも現れ「渦巻/巻かれた物」を意味する音節「ダ」[da]は、「体/身体/躰(からだ)」にも現れますし、「管(くだ)」にも見出せます。一方、他の項で触れるように「口(くち)」[ku-chi]は「食べる/食べ物」を意味内容とする音節[ku]と「道/通り道/経路」を意味内容とする音節[chi]が組み合わされた語です。ちなみに、「道/通り道/経路」を意味内容とする音節[chi]が単独で使用される語「血(ち)」は「血管」を意味内容とすることもわかります。
現代語でも[ku-chi]と発声される身体の部位名は、広く「口腔」を指し、まさしく「食べ物の道」です。この場合の[ku]の現代語としての解釈は「食べ物」でよいでしょう。「管(くだ)」の[ku]も同様に「食べ物」でしょうから、[ku-da]の意味内容は「食べ物、渦巻き」です。現代語での解釈は「消化管」とするのがもっともらしいです。生物の消化器官が胸腔を通って、主には腸が、クネクネと腹腔内に収まっているさまを表現していることが強く示唆されます。
つまり、「体/身体/躰(からだ)」[ka-la-da]の[da]が消化管を含む「臓器」の様子を表現していることは容易に推察されます。一つ目と二つ目の音節[ka-la]は「空/殻(から)」です。音節[ka]は「苦痛」に類する感覚や思いを表現しているので、[ka-la]の本来の意味内容はタダの「空間」ではなく「苦痛を与える(伴う)空間」だった筈です。たしかに現代語でも「カラッポ」は「失望感を与える空間」を意味します。音節[la]は単独で「空間/空気/気体」を意味していたと考えられます。
体内の空間である「体腔」を表現するだけなら[la]で充分だったでしょう。それでは、なぜ古代人は「苦痛」を意味内容とする[ka]が付加された[ka-la]が「腹腔」を表現するのに適切と考えたのでしょうか?その答えは「おなか」[o-na-ka]から得られそうです。現代語では「腹部」を表現する[o-na-ka]の語源が「大きな音が鳴ると腹痛や飢餓感などの苦痛を催す部位」であったと解釈されるからです。「腹腔」が「苦痛を与える部位内部の空間」すなわち[ka-la]と発声されていたと解釈することは充分に合理的だと思います。
「からだ」の語の成立は、先ず「腹腔」を意味する[ka-la]を表現して、その中に収まった渦巻く腸管などの臓器を表す[da]を付加することで、「内臓が収まる空間」を意味内容とする発声を規定していたことがわかります。
[da]と称される「臓器」内で、音節[ka]が意味する「苦痛」が生じることは、時として生命にかかわる問題と直結することは、既に言葉の創成期には認識されていたはずです。すなわち、命にかかわる問題を生じさせかねない重要なモノとしての「渦巻き」[da]に対する強い関心が土器などの文様としての遺物に残されたのだと考えられます。
例えば、長野県富士見町の藤内(とうない)遺跡から出土し重要文化財にも指定されている「神像筒形土器(しんぞうつつがたどき)」と呼ばれる土器があります。複雑でありながら、直感的に「何か」を表現していることがわかる文様についての諸説が語られている土器です。今回の臓器と渦模様の議論の延長線上に立ち、神秘性、象徴性や宗教性などの抽象的な考えから離れて見ると、この土器に掘られた文様は、非常に具象的な骨盤周辺の「下半身の内部構造模型」であることがよくわかります。三角形の骨盤と女性の臓器が模られています。「顔面把手付土器」として知られる母胎を象った土器に通じる造形であることがわかります。
さらに、「手形・足形付土板」に残された故人の指紋/掌紋、大きな災害をもたらす「竜巻」にも現れる渦への関心も相まって、多くの遺物に渦巻きのモチーフが用いられることになったのだと考えられます。
※メディアを通して目にする考古学に関する記事には、遺物の文様の表現対象が不明だと「神像」、使用目的がわからない道具様の遺物は「祭祀用具」、痕跡は「祭祀跡」というような記述が多く見受けられますね。正体がわからない遺物や遺跡を信仰に関連するものだとすることで一応の解決をはかろうとする意図が見えます。こうした「信仰起源説」の流布が日本の考古学や民俗学の滞留を招いていることは否定できません。いつまでも解けない謎の創出の一因には、研究者の中に未だに残っている古代人に対する偏見もあるかもしれません。遺物を分析的に客観視しなくてはならない人々の間にも、異形の神を崇めて"mumbo jambo"を唱えるボロをまとった未開の野蛮人というイメージが有るのかもしれません。我々の祖先の「宗教」の遺物を冷静に観察すると、そこには合理的な科学の目があることがわかります。今回みている原始日本語も、怪しい呪文でも無ければ、正体不明の妖怪と考えられてきた怪しい存在の名も、実は自然現象をそのまま表現した語であったり、擬態語でさえ合理的で説明的な意味表現に基づいて理性的に定義されていることがわかってきています。
モガリ[mo-ga-li]とノベオクリ[no-be-o-ku-li]の語源を解き明かします。まず、葬式の古語「モガリ(殯)」を音節に分解して、各音節の意味をみてみると、[mo]=「地下」、[ga]=「屈む」、[li]=「堆積」を連ねて「屈葬(墓)」を表していることがわかります。先史時代に多く用いられた、手足を折り曲げた体勢で地中に埋葬する方法です。母胎内の胎児の姿勢を模したモノではないかという考えなど、諸説があります。近代まで用いられていた樽状の座棺に入れて葬る手法も屈葬の類型でしょう。
葬祭に関わる儀式に「野辺送り」があります。現代では葬列のことを指します。「野辺」が埋葬地を指すと認識されているので、その地まで「送る」行為と思われているからです。ところが、[be]は「潰す」を意味する音節です。[no]は「野/野原」で、[be]は「潰す」、[o]は「大きい/多い」を意味します。[ku]は「食う/食べ物」、[li]は「堆積/積み重ね」です。「オクリ」を現代語でいうところの「送り」と考えず、「ノベオクリ」全体をひとつながりの文章的な表現と考えてみます。すると、「野で潰したものを大きい/多くのものが喰って埋られる」ことを意味するのだとわかります。縄文から弥生期に行われた”再葬”の前過程「鳥葬/風葬」の作業内容を記述していると考えられます。
京都の清水寺の隣接地には、その名が鳥葬との関わりを推察させる「鳥辺野/鳥部野(とりべの)」[to-li-be-no]と呼ばれた埋葬地がありました。
「祭り」、「政(まつりごと)」、「祀り」、裁縫の「まつり縫い」にも見出すことができる「マツリ」を解読してみましょう。
音節[ma]の意味内容は「土地/地面」で、[tsu]は「指す/刺す/突く」、[li]は「堆積/積み重ね」ですので、「地面を突いて積み重ねる」あるいは「地面を突いて被せる(埋める)」が本来の意味であることが解ります。
「まつり縫い」は、布を縫合する方法で、縫い目の糸が表面からほとんど見えないようにする縫い方です。布が縫い目の糸に覆いかぶさることがミソなのです。「布地を針で刺す、埋める」を意味することがわかります。「マツリ」の語源を保存していると思われます。
「地面を突いて積み重ねる」と解釈した場合、縄文期に栽培種が存在したことが示唆されている当時の主食の一つであった栗などの地面に落下した実を拾い集める行為を意味内容としていた可能性が考えられます。事実、「クリ」[ku-li]という語は、「食物」を意味する[ku]と「積み重ね」を意味する[li]を連ねて「貯蔵食糧」を意味していると考えられます。一方で、「まつり縫い」の場合には[li]が「被せる/埋める」を意味内容としていることを考慮すると、「地面を突いて埋める(土を被せる)」と解釈することにも理がありそうです。農作業としての「種蒔き(まき) 」は、決まった時期に行う必要性から、集団でおこなう年中行事となって行く過程で、政治的な統制が関わってきたり、集団のコントロールの為に宗教的な祭祀の意味を付与されるようになりました。その過程で「まつり」の語の意味内容が変化してきた結果が「祭り/祀り/奉り」や「政」だと考えられます。
原始的な農業の形態を考慮すると、種蒔きの時期の判断が重要であったことは想像に難くありません。また、「貯蔵食糧」を意味すると考えられる「クリ」等の収穫が冬期の食生活にとって重要であったことも当然です。どちらのケースも「マツリ」の原型を成したと考えられます。
※長野県諏訪の諏訪大社(上社本宮・上社前宮・下社春宮・下社秋宮)で催される「御柱(おんばしら)祭」にみられる「建御柱(たておんばしら)」は、「山出し」、「里曳き」を経て「冠落し(先端を切り落とし三角錐に尖らせる儀式)」を施した巨木「御柱」を社殿の四方に建てる神事です。この起源は縄文期にまで遡るといわれています。[ma-tsu-li]を、御柱祭で行われる、大木を地面に突き刺し直立させ、固定するために根元を土で埋める儀式「根固め」を含む「建御柱」のような行為を指していると解することも可能だと思います。
ちなみに「はしら」[ha-shi-la]は「端が空間を指す」が語源です。大きな金属材を作ることができなかった古代に、現代の避雷針のような人工物を作ろうとしたら尖端をとがらせた巨木の柱が唯一の選択肢であったことでしょう。
大きな建造物(社殿)を建てると、その土地の周辺がひらけてしまうので落雷のリスクが高まります。乾燥した木材より生木の方が導電率が高いので、木々を生やしておけばそこに落雷してくれる(社殿の避雷)確率を高められますが、枝葉を茂らせた生きた樹木に落雷した場合には側撃雷(樹木を介した間接的な放電)によって周囲に居る人に被害が及ぶリスクが有ります。結論としては現代まで諏訪地方に伝えられているように、他の木を圧倒するような高さの巨木の枝葉を払って作った柱を境内の四方に建てることで、社殿や境内に居る人への落雷のリスクを低減できる、ということです。理想的には表面を炭化させておくと高い導電性を付与・維持できますが、古代に御柱の表面を焦がすなどの炭化処理が行われていたか否かは分かりません。そうでなくとも、風雨に曝された状態であれば、水分を含んだ柱はそこそこの伝導率を保てます。この場合、腐朽や乾燥が進む時間と作業にかけるリソースとのバランスを考えると、6年周期での建て替えが合理的であったのではないでしょうか。
「ダイダラボッチ」の項でも述べるように、現代よりも温暖化が進んでいたことが推測される縄文海進の時期には、大気の擾乱が大きく頻繁に生じていたと考えられます。当然、雷雲の発生や落雷の頻度が現代よりも遥かに高かったことは容易に推測されます。「地震・雷・火事・噴火」の脅威は生死に直結していたに違いありません。同時に、経験則に基づく科学の成果としての御柱を建てる行為は、伝承に値する貴重な知見であったと考えられます。
※さて、この「諏訪」は地名として現在にも残っているだけでなく、日本全国に数万社ある諏訪を社名にもつ「諏訪神社」の信仰の中心でもあります。古事記に登場する神・建御名方神(タケミナカタ)と八坂刀売神(ヤサカトメ)が祀られています。古事記の記述では、天照大御神(アマテラス)らが大国主神(オオクニヌシ)に国譲りを迫るために建御雷神(タケミカヅチ)と天鳥船神(アメノトリフネ)を派遣した際、後に諏訪大社の神になるオオクニヌシの子・タケミナカタが抵抗、戦意を示した。しかし、勝ち目が無く、科野国(シナノ)の州羽海(スワノウミ)に逃亡(侵攻)して助かる、というストーリーになっています。つまり、雷神に攻められたタケミナカタはスワに移ったことで助かった、という事になっているのです。
ここまでの議論を元に、諏訪信仰の起源についてのありえる仮説を立ててみると、次のようになります。
〇 旧石器時代・縄文時代に必須であった生活道具の素材・黒曜石の一大産地であった和田峠。
〇 和田峠を下った場所には、交通の便が良くかつ食住が足りるために交易の中心になって栄えた地があった。
〇 その地では、深刻な被害をもたらす天災の一つである落雷をコントロールできる技術が発明された。
〇 落雷によってもたらされる「破壊」=「ワ」[wa]のリスクを「消し去る」=「ス」[su]ことができる地の名前は「スワ」[su-wa]と呼ばれるようになった。
〇 落雷の制御術は、巨大な木柱を建てる大工事であったので、地域の一大公共事業・マツリとなった。
〇 地震・噴火・洪水など、通常は制御不可能な天災を防ぐことができる(ほとんど唯一の)術のノウハウは、一般には普及できない程に大掛かりなものであったために、かえって羨望の対象となった。時を経て「スワ信仰」となった。
〇 土着の古代神・ミシャグジを祀るための場であったヤシロは、徐々に公共事業・マツリの場としての認識が広がり支配的になった。
〇 それ以前の主要な祭礼はマツリではなくてホフリ(屠り)だった。
〇 数千年の時間を経て、記紀の時代に、新移入民族(ヤマト)が旧移入民族(イズモ)を支配するストーリーの中に、イズモが先住民族の地スワへ逃亡(侵攻)したことが記述された。
〇 イズモがヤマトの攻勢の中で助命されたのは、避雷技術を有していたスワに逃亡(侵攻)して、そのノウハウを獲得し、さらにヤマトに譲渡したからではないか。そのため、古事記の中でヤマトの放った追手は「雷神」として描かれた。
〇 イズモは以前からスワの避雷技術を知り、導入していた可能性もある。
「胸」[mu-ne]、「虫」[mu-shi]、「昔」[mu-ka-shi]に見出すことができる音節「ム」です。原始言語としての意味を探る作業を通じて既に、胸[mu-ne]の[ne]が「音」だと解っていたので、[mu]が「心拍」に通じる概念であろうという推察は容易にできました。
「ム」[mu]は、「虫の音」[mu-shi]、「村の喧騒」[mu-la]、「芒(ノギ)のある穀物の発する周期的な音」[mu-gi]、「紐で結んで静める物のガタつき」[mu-su-bi]などに見出せる、周期性やリズムを感じさせる音であると解せます。
「腹の虫」は寄生虫を示すのではなく「激しい脈動や息遣い」だったんですね。道理で、おさまったりおさまらなかったりするわけです。
さて、「むかし」[mu-ka-shi]の語源は?というと...、直訳は「ドキドキ+困難+広がり」です...。有り得る解釈は「ときめかない」か「動悸が激しい」です。残念なことに、いずれにしても過ぎ去った時を指すのではなく、加齢した状態を示す意味内容だったようです。トホホ〜。
擬態語や擬音語、最近はオノマトペと言ったほうが馴染みがあるかもしれません。幼児向けの教育コンテンツでも盛んに取り上げられる様になってきています。
今回の研究では、日本で口頭伝承されてきたオノマトペの多く が具体的な意味内容を持つ言葉である例が次々と示されています。
本稿でも、日本語のオノマトペ の多くが、物事の状態に対する確定的な言語表現であり、人間の「感性」と「語感」が結び付くことでできたのでは「ない」ことがハッキリわかる例を見てみることにします。
まず挙げる例は「スイスイ」です。魚のように滑らかに、上手に泳ぐ様子を表現するときに用いられます。水泳に伴って発生する音を真似た擬音語でないことは明らかです。一方、状態を真似た擬態語と解釈されてきた根拠はなんでしょうか?[su]と[i]の二つの音節を並べて繰り返して発せられる声が与える「語感」は、上手な水泳と「感性」で結び付いているのでしょうか?「フワフワ」、「スクスク」、「ガタガタ」、「フラフラ」、「ガミガミ」…他の多数のオノマトペ と同様に、厳格な意味内容を直接言い表した言語である匂いがプンプンします。
早速、本研究で得られた「辞書=レキシコン」で解読してみます。「スクスク」にも現れる音節[su]は「消失/消去/不可視(化)/透明」を意味します。「スッと消える」がプロト言語と現代語の二重表現であることも解明されています。音節[i]は「発現/出現」を意味するので、これらを組み合わせた「スイスイ」の意味が「消える+現れる+消える+現れる」であることが分かります。つまり、息継ぎの度に水面から頭が現れては水面下に消えることを繰り返す様を表しているのですね。バシャバシャと水しぶきを上げる様子ではなく、滑らかに泳ぐ様を水上からの視線で的確に客観的に描写していることが分かります。
オノマトペ だと信じられていたこの語も、また、厳密な意味を持つことが示されました。
擬態語=オノマトペ と言うと、すぐ思い浮かぶものの一つに「フワフワ」がありますね。復元力がありながらも柔らかな羽毛や羊毛などの優しい手触りを表現したり、浮力を持ったものが空中に浮かんだり漂ったりする様子やスポンジ状の物体の弾性を表現するときに用いられる擬態語と認識されています。
これまで、このようなオノマトペは語感に基づいて発声の選択がなされた結果であって、表現されるモノの物理的な特性を表現する「感性」の発現であるというような解釈がまかり通ってきました。
日本語を使い慣れている人にとっては、そもそもフワフワな触感や視覚的な印象と「フワフワ」という発声が直接結びついて記憶されているので、このような誤解を生んできたのだと思います。
フワフワに限らず、日本語のオノマトペ を用いた言語的表現は対象の物性に対する感性の発露であるという一般的な認識が全くの誤解である事は、本研究で得られた「音節の辞書(レキシコン)」を用いれば簡単にわかります。
フワフワ=[fu-wa-fu-wa] を構成する2つの音節[fu]と[wa]のプロト言語としての意味内容(セマンティック・コンテンツ)は、それぞれ「踏む/押し付ける」と「割れ目/裂け目/掘り/溝/割る/破れる」です。つまり、「フワフワ」の意味は「溝を踏む」であることが解ります。歩いているときに溝の存在に気づかずに踏み込めば、当然、フワッと宙を踏む浮遊感とともに落下しますね。
オノマトペの「クラクラ」と「フラフラ」。似ているようで、ちゃんと使い分けられています。これらの語も、慣用的な表現として伝承されている一方で、そもそも「語感」というか「音感」で特定の音が選択されて作られた語だと思っていた人は多いのではないでしょうか。
しかし、[ku]=「食べる/食べ物」、[la]=「空気/気体/空間」という厳格な意味内容が定義されたプロト言語によって、[ku-la-ku-la]が「空気を喰らう」つまり「口をパクパク喘ぐ」を意味することがわかった今、「音感」や「語感」で選択されて作られた語ではないことが明確になりました。
フラフラ=[fu-la-fu-la]の一つ目の音節[fu]は「フワフワ」のフと同じ「踏む/押し付ける」で、二つ目の音節[la]の意味内容はクラクラのラと同じ「空気/空間/気体」ですから、「フラフラ」は「空気(空間)を踏む」です。千鳥足でフラフラ歩く様は確かに宙を歩くという言語表現がぴったりだと思います。
慣用的な表現として根付くと同時に、移入民族の言語表現との相互作用を経て、原始言語の意味が忘れ去られるなかで、日本語を話す民族の「語感」を醸成する元になった事実も封じ込められて、現在の「感性の発露としてのオノマトペ」という大きな誤解が定着したのだと思われます。
シート状のものを引き裂く行為を表現するときによく用いられる擬態語「ズタズタ」があります。紙などを「ズタズタ」に引き裂く時の手順を想像してみてください。一方の手で紙の端辺をつまんで、もう一方の手で同じ端辺のすぐ脇をつまみます。次に、一方の手を下向きにさげ、同時に他方の手を持ち上げますね。この動作、すなわち手を「下垂状態」=[zu]にすることと「持ち上げる」=[ta]ことを表現した語だったのです。
日本語には豊富な擬態語=オノマトペがあります。「擬態」とは言っても擬音語とは異なって「真似る」わけでもなければ「似せている」わけでもないのに「擬」と表現するのは妙な話です。 前回に記したように、物事の状態に対する人間の「感性」と「語感」が結び付いてオノマトペ ができたのでは「ない」ことが今回の研究で明らかになってきました。
ここで取り上げる「スクスク」は、子供が健やかに急成長する様を表現するときに用いられますが、当然、子供が成長する際の音を真似たのでもなければ、観察すべき過程も長時間に及ぶので、「擬態」と考えるのにはそもそも無理があるオノマトペ の代表です。
今回も、本研究で得られた「音節の辞書(レキシコン)」を用いれば簡単にわかりますので、早速本来の言葉としての意味を解読してみましょう。
音節[su]のプロト言語としての意味内容(セマンティックコンテント)は「消失/消去/不可視(化)/透明」です。もう一方の音節[ku]は「食べる/食べ物」ですので、これらを組み合わせた「スクスク」の意味は「消失+食物」つまり「食べ物を消費する」であることがわかります。食べ物をパクパク食べることと子供の成長が早いことを関連づけた結果であることが明確に示されました。
これまでの記事で書いてきた様に、音感が感覚的に事物の様子を表すのにふさわしいから適用されていると思われてきた擬態語が、実はちゃんとした意味内容を持った言語だということが分かってきました。
一方で、擬音語はどうでしょうか?物(生物)が発する音(鳴き声)を模倣して、特定の音節の音を選択しているのだろうと思われてきました。ところが、「ガタガタ」や「スカスカ」をプロト言語で解読してみると…
[ga]=「屈む/前屈」、[ta]=「持ち上げ,/掲げ」、 [su]=「消失/不可視」, [ka]=「苦難/辛苦/失望」なので、「ガタガタ」は「体を倒したり起こしたりを繰り返すこと」で、「スカスカ」は「無くてガッカリ...」という意味内容を、それぞれを確定的に意味していることがわかります。
同じ音節「ス」と「カ」を用いたオノマトペでも爽やかな気分を表現するときに用いる「スカッと」では、苦難を意味する音節[ka]は、消失を表す音節[su]の目的語的に用いられて、「つらいことの解消」を意味内容とする語を構成しているのがわかると思います。
「奥歯ガタガタ言わせたる!」や「何ガタガタぬかしとるんぢゃぁ、ボケェ!」あたりの表現から刷り込まれたんでしょうかね?これらの語は「擬音」ですらなかったんです!すっかり音を模倣した語と誤解されてきたんですが、確かに奥歯が「ガタガタ」音を立てたことはありませんし、大阪で「ガタガタ」話している人に出会ったこともありません。
「ガタガタ」のような周期性のある音や鼓動・拍動・脈動を意味内容としていたのが音節「ム」[mu]であることを他の項で述べました。そして、この周期的な音を消去することを意味内容とする語が「ムスビ」[mu-su-bi]です。脈動[mu]を消す[su]のが、キビを意味する[bi]です。
「ビ」[bi]は「黍(きび)」の「雌花/穂」とそれに似た形状の「毛」や「紐(ひも/縄(なわ))」も意味すれば、特徴的な茎(くき)とそれに特徴を与えている節(ふし)も意味すると考えられます。
つまり「ムスビ」という語は「紐や縄で周期的な音や振動を無くす」ことを意味内容としていたのです。紐や縄で動物の脈を止めることにも通じていることがわかります。ムスビが「結束」する意味だけでなく、「結末」を意味するのも納得です。
ちなみに、[bi]に関しては、例えば「江(え)」に居る「び」なので「海老(えび)[e-bi]」なんですね。海老の「え」[e]は「欠円」を意味します。「入り江」も円形の岸の一部が欠けて海につながっている様子が「欠円」になっていることがわかりますね。
肋骨が浮き出るほど瘦せ細った様子や、尖った工具で硬く脆い物を縞状にあるいは線状に削ったり引っ搔いたりするさまを表現する場合に用いられる擬音語「ガリガリ」[ga-li-ga-li]の意味内容を解読してみます。
一つ目の音節「ガ」[ga]は、「ガタガタ」にも見出せ、「屈む/前屈する」や地形や物の形状の場合「オーバーハング」を意味内容とします。二つ目の「リ」[li]は「積み上げ/積み重ね/堆積」を意味する音節ですから、これらを連ねた「ガリガリ」は「オーバーハングが積み重なる」という意味の語であることがわかります。確かに、ガリガリに痩せた体には浮き上がった肋骨が幾重にも縞状に重なってみられます。ガリガリと工具で脆い岩や氷を繰り返し削ると、削られたところが凹み未切削の部分が凸状に浮き出た切削痕が並んで形成されます。このオノマトペと信じられてきた発声も、確定的に特定の形状を表現した語であることが解明できました。
ここまで見てきたオノマトペの数々と同様に、日本語を話す人々の心理には、これらの語が「擬音語」や「擬態語」であると既に刷り込まれてしまっています。オノマトペを対象とした自然言語処理の作業に臨むときには、例えば、硬くも脆い物を工具で削るときに出る音は「ガリガリ」であるというような極めて強い思い込みのバイアスが働くことに十分注意する必要がありますね。
「黍(きび)」を意味する英語"cane"は「杖(つえ)」も意味します。日本語の起源を解明する過程で判ったことは、日本語の原始言語でも「キビ」、「ツエ」ともに[bi]だったであろうということです。キビの穂や花も、それに似た形状の毛髪様のモノも[bi]だったと考えられます。木[ki]の様に高い[bi]がキビ[ki-bi]と呼ばれていたのですね。
「踵(かかと)」のことを「キビス」ともいいます。現代でも国や地域によっては行われている機械に頼らず素足を使う脱穀作業は、古代から行われていたと推測されます。素足を用いてキビ[ki-bi]から実を落として消す[su]から[ki-bi-su]と呼ばれていたのですね。脱穀する対象の呼称がキビであったので、脱穀するときに活用する身体の部位を「キビス」と呼んでいたわけです。キビの栽培が米(コメ)に先行していたことは容易に推察されます。
あえて、木のように成長するので「キビ」と称されていることから推察すると、「毛」を意味する「ビ」が一般的な語として先行してあり、後に毛様の花や穂を持つ「キビ」も「ビ」の意味内容に内包されるようになり、さらにその茎や節の形状も「ビ」と称されるようになったと考えられます。
例えば、本来の[bi]の用例としては、不快な[ka]毛髪様[bi]のものだから、カビ[ka-bi]と称されるようになったであろうことが挙げられ、意味内容が拡大した後の用例としては、前述のように、遠くに出掛ける際には杖[bi]を掲げる[ta]から旅[ta-bi]と称されるようになり、欠円形状[e]の入り江に居て、キビの茎のような節[bi]がある生き物だから、海老[e-bi]と呼ばれるようになったであろうことが挙げられます。
キビが栽培され、少なくとも人体の部位の呼称に用いられるほどに普及する頃まで、音節の意味内容を元にした命名が行われ、当然、その言語表現が一般的に理解されていた時代であったことがわかります。日本列島の先住民族の言語として、相当に遅い時期まで活用されていたことが推察されますね。
「イナズマ」という言葉は「稲妻」という漢字があてられて記述されることが多いですね。この語は、「発現」を意味する[i]、「音を発生」の[na]、「下垂状態」の[zu]、「大地/地面/鉱物」の[ma]という音節を連ねて構成されています。前半の[i-na]は雷鳴を「音が生じる」と表し、後半の[zu-ma]は雷の放電が地上に落雷する様子を「地上にぶら下がる」と表現していることがわかります。つまり「雷鳴と地上への落雷」を表した原始言語であることが今回の謎解きで明らかになりました。客観的に自然現象そのものが描写された語だったんですね。
多くの辞書に書かれている「稲妻」という表記や「稲作信仰との関連付け」が行われたのは、単なる語呂合わせ、後世のことだったんでしょうね。雷の発生時期と稲の成長や実りとも関係なければ、稲作「信仰」とも関係なかったんです。自然現象を観察して、コミュニティーの誰もが「雷」の共通の概念として共有でき、情報伝達に用いることができる言語表現として工夫した事がうかがえます。
民話にもよく登場する「鬼(おに) [o-ni]」です。現代では想像上の存在と考えられている魔物の正体を解読します。
「オニ」[o-ni]という単語を構成する音節は2つしかないので謎解きは簡単です。各々の音節の意味内容は、大きなものや大きなことを表現する音節「オ」[o]と、貝類・甲殻類・節足動物などの殻を有するものを表現する音節「ニ」[ni]です。
単語としての意味内容は、有史以前の遺跡から多数発掘される例えばスイジガイ(水字貝)のような「大型の貝類」を指すことがわかります。
特に、スイジガイは、成長に従って殻に鋭利で長いツノを持つようになる貝で、貝釧(かいくしろ)と呼ばれる腕輪に使われていました。現代でもメタルやパンク系の人達に愛用されているトゲトゲのスタッド(飾り鋲)を沢山打ったブレスレットと極めて似ていますね。これを、威嚇のために使用していたかは不明ですが、少なくとも腕に付けた状態だと周りの人の注意を誘う効果は期待できそうです。これが「鬼」の起源と考えることに無理はなさそうです。
ちなみに[ku-shi-lo]は[食べる+海+岩盤」と解読できるので、「牡蠣」等の海中の岩に生息する海棲貝のことですね。
柳田國男、水木しげる両先生も、それぞれの著作物で取り上げた「ダイダラボッチ」。関東地方には、この伝説の巨人に因んだ地名「ダイタ」がいくつも残っています。「ボッチ」は「ボチ」が音便を伴って変化したものでしょうから、元々の発声は「ダイタラボチ」であったと考えられます。
今回の研究で、[da]は「渦」、[i]は「発現」、[ta]は「持ち上げ」、[la]は「空気/空間」、[bo]は「かき乱し」、[chi]は「通り道」を意味する音節であることを発見できています。
ダイダラボッチの正体は「竜巻が通過したことで荒廃した土地」のことだと解読できました。近年でも、竜巻の被害にあった土地に、軌跡が道のように明確に残されているケースがあります。
伝説では「巨人の足跡が窪地や湖沼として残った」とあります。通過痕が窪地となり、ときには湖沼が生じるほどの竜巻被害が決して少なくない地点で生じていたことになります。伝説の元になった竜巻の破壊力が極めて強かったことが推察されます。近年の地球温暖化に原因すると考えられる竜巻被害の増大から類推すると、いわゆる縄文海進期として知られる(現在よりもさらに)温暖化した時期に生じたであろう竜巻の威力は如何ばかりであったかと、恐怖を感じずにはいられません。
「巨人の足跡」の伝説は、激烈な自然災害の歴史を年少者にも伝承するための古代人の知恵だったのかもしれません。
次は「かまいたち」です。妖怪の鎌鼬/窮奇です。「つむじ風に乗って現われて人を切りつける。これに出遭った人は刃物で切られたような鋭い傷を受けるが、痛みはなく、傷からは血も出ないともされる」とある一方、「つむじ風そのものを「かまいたち」と呼ぶ地方も数多くある」とのこと(wikipedia「鎌鼬」)。
通り魔のような仕業の割にはイタチ?狸や狐ならありそうなものですが...妙です。
今回発見した音節の固有の意味で解読してみると、[ka-ma-i-ta-chi]の各々の音節は[ka]=「苦痛」、[ma]=「地面」、[i]=「出現」、[ta]=「持ち上げ」、[chi]=「通り道」となります。「苦痛な」と「舞い立ち」が合成された語なんですね。「つむじ風そのもの」を含む強い上昇気流を指すと解釈できます。
「マイタチ」が上昇気流で、上昇する突風が「カマイタチ」、前出の「ダイタラ」は渦巻きが目視でき、物を空中に舞い上げられる気流ですね。
日本列島に住む限り、日々の生活と地震は切っても切れない関係にあると言っても良いと思います。おそらく数千年、数万年前の遥か古代でもそうであったことでしょう。
それにしても、なぜか日本には古くから「鯰(ナマズ)と地震の関係」が語り継がれています。「ナマズが動くと地震が起きる」という類の民間伝承です。「ナマズが地震を予知して暴れる」のか「ナマズが暴れることが地震の原因」という意味なのか因果すらはっきりしません。現代に至ってナマズの行動と地震の相関を研究(?)している人がいる程に、根拠が薄弱な俗説にも関わらず根強く伝承されていることには裏があるに違いありません。
というわけで、ここではナマズ[na-ma-zu]の語源を解読してみます。これまで何回も登場した音節:[na]=「音の発生」、[ma]=「大地」、[zu]=「下垂状態」 で構成される語です。これらを連ねて意味内容を解釈するだけで良いので簡単です。つまり「音が発生する大地が振れる」という意味の語であることが分かります。
なんと、「ナマズ」という語自体が「地鳴りと地震」を指す原始語であったことが明確に示されたんです。ナマズと地震の関係は、そもそも同じことを意味する語同士だった、というオチです。
しかし依然として、ナマズと呼ばれることになる魚種の呼称に地震を表す語を用いた理由は謎です。ナマズには鳴き声の様な音を発生する種類もいますし、呼吸音を発するドジョウとの混同(?)もあるかもしれません。湖沼の底で蠢いて、時に音を発する様を表現した結果、地震と同じ呼称なった可能性もあれば、別の項に記述する、古代の神「ミシャグジ」と「ミサクチ=しゃもじ」の関係の様にダジャレの可能性も有り得ると思います。
「五十音」を構成する各音節の中でも、「ぎ」 [gi]は現代語に残っている原始語の痕跡が、現代人にとっては直感的に分かりにくいものの一つです。
しかし、古い時代から使われていたと思われる言葉に、「ぎ」を含む単語は少なくありません。「のぎ」[no-gi]はイネ科の穀物のトゲ状の突起を持つ殻のことです。「なぎ」[na-gi]という言葉は、現代語では「薙ぎ倒す」という表現にも現れれば、「穏やかな海の状態」を指す「凪」もあります。鳥類の名前では「鷺」[sa-gi]、「鴫」[shi-gi]などに見出せます。「鍵」や「鉤」の[ka-gi]もあれば、どっちがどっちか紛らわしい「荻」[o-gi]と「萩」[ha-gi]もあります。「紛らわし」[ma-gi-la-wa-shi]にも見出せます。
これらの内、具象的な単語に着目すると、共通の概念は、ノギの形つまり涙滴の形状であることがわかります。どうやら、手指で塩を一つまみする時のように、手指の関節を伸ばした状態で親指とその他の指の腹を接するようにするジェスチャーと結びついていることが推察されます。
ナギの[na]は「音を発する」ですから、[na-gi]はイネ科の植物の穂がそよいで出す音だとわかります。草を払うときにも発する「ザワザワとした音」とよく似た「潮騒」にも応用されたと考えられ、微かな潮騒の音が聞こえるほどに穏やかな海の状態も指すようになったと考えられます。
[ma]は「地面」、[la]は「空間」、[wa]は「割れ」で[shi]は「広がり」を意味するので、「紛らわし」は、地面に籾、籾殻、脱穀された実が混在して撒かれている状態を表現していることがわかります。たしかに紛らわしいです。
「夕方」の[yu]、「お湯」の[yu]、「結う」の[yu]。共通の概念は?もしや同音異義語か?なかなかの難物でした。
強力なヒントになったのは弓[yu-mi]でした。[mi]は「見る」ですから、見る動作に関係して、夕方にも関係する意味内容は?と、探り当てたのが「細目」あるいは「薄目」です。近眼の人はよくやりますよね、瞼を半開きにして見ると何となくはっきり見えるようになるヤツです。弓で矢を射るときにも矢と的を「ボォ〜っ」と見るんだそうですね。光学的には、開口径を狭くする(つまり絞りをしぼる)事で被写界深度(または焦点深度)を深くしてるんですね。レンズのFナンバーを大きくするわけです。焦点が合うので獲物の狙いは定めやすいが、視界はやや暗くなるし、解像度もやや下がる!
音節「ユ」[yu]は「半開きの目」で見た時のように「やや見えにくい」という意味だったのです。
夕暮れの中で物は「やや見えにくい」。お湯の湯気でも「やや見えにくい」し、物を結束すると中が「やや見えにくい」!「おつゆ」の中の「突き刺して」[tsu]食べる具材は、「やや見えにくい」[yu]。「雪」は木々[ki]を、やや見えにくくする[yu]。
概念そのものも深くて「やや見えにくい」[yu]でした。
ちなみに、「つゆ」と「しる」は現代語では似たような意味内容を持ちます。特異的に「搾り汁」のようにプロセスに関わる修飾語が加わる場合は「しる」が多く使われます。「滴下された液体が同心円状に広がる」ことを語源とするので、塗布したり浸透させたりする用途に用いる液体を指していたと考えられます。
音節「せ」[se]の固有の意味内容も、現代語から見出そうとするのが極めて難しいもののひとつであったといえます。背[se]の高さ、年の瀬[se]、川の瀬[se]、等に共通の概念は?実は「境界」だったんです。
確かに「背」が身長を意味するとしたら「背の高さ」は二重表現であることになります。生物の体と外界が接する境界(つまり体形)の高さの意味だったら合点がいきます。年と年の境界だから、年末は「年の瀬」であり、水と陸の境界だから川の「瀬」なんですね。
驚くべき発見だったのは、翅がスケスケで「体形」=[se]が「見える」=[mi]から「セミ」だったということです!
個々の音節が特定の意味内容に対応していることが次々と解読される中で、[mi]は特異的に「見る」と「水」の異なった二つの意味を持つのでは?という疑問がありました。
それを解決したのが、現代語では同音異義語となっている「鏡」と「屈み」です。[ka]=「苦痛」、[ga]=「前屈」、[mi]=「水」or「見る」という意味になります。辛いほど屈んで見る、つまり「水鏡」だったんですね!だから、「ミ」[mi]は「水」であり「見る」だったんです。
[mi]という語は、視覚による感知のみを指すのではなく、視覚対象・鏡像も意味しているんですね。このことはジェスチャーを用いた表現を想像するとわかりやすいです。「見る」を身振り手振りで伝えようとすると、多くの人は「目を指差してから対象物に向かって指を差す」と思います。視覚の対象物も含めたシステム全体が「ミ」ということです。マンガで描くなら目玉から視線が水に向かって描かれて、反射した自分の像が視線に乗って目玉に戻ってくるエズラになりますね。
ですから、音節「ミ」[mi]の意味内容は、現代語の「見る」すなわち主体の存在と行為や動作に加えて、「見える(可視)」すなわちや対象物の存在と視認性・物性、「(類似性も含む)~に見える」すなわち主体の認識のいずれをも含むと考えていいでしょう。
金属の鏡が登場するまで、明確な鏡像を得る手段は水だけだったでしょうし、それゆえに金属の鏡の登場は大変な出来事だったのでしょう。
「道(みち)」[mi-chi]は「視認可能な経路」を語源とします。文字情報による伝達ができなかった古代に、果たして「道標(みちしるべ)」は存在したのか?有ったとすれば、それはどのようなモノだったのか?たいへん興味深い問題です。はっきりしていることは、縄文時代の古代人は交易を行いロジスティックスが機能していたのは事実だということです。
ところで、近代まで集落の出入り口に相当する辻々に道祖神やサイの神が祀られているケースは少なくなかったように、必ずしも文字情報に頼らない、経路の案内に供することができる掲示物は相当に古い時代からあったと考えることに無理は無いといえます。
さて、古代の経路の案内方法を語源から探ってみます。「ミチシルベ」の初めの2つの音節は、間違いなく「ミチ」です。3つ目と4つ目の音節が示す「シル」は「汁」あるいは「知る」でしょうか?「汁」については前の項で述べたように「加工プロセスを伴う液体」のことです。一方「知る」を構成する音節は(当然)「汁」と同じ[shi]と[lu]ですが、「輪染み」が広がるのとは異なり、「広い輪」を表現しているのだと解せます。つまり「広範な情報を持っている」「豊富な知識」を表現しているのだと考えていいでしょう。これらの内どちらが妥当な意味内容かというと、最後の音節が[be]であることを考慮すると、どうやら「シル」の意味内容は「汁」が正解のようです。
「ミチシルベ」は何かを「潰した汁」で「経路を書き記した」モノであると考えられます。文字が存在しなかった時代に、何かを記述することで道標にしていた可能性が強く示唆されます。縄文時代の遺物には赤色の漆が残されているものがあり、こうした塗料を用いて耐候性のある石造物などに何らかの情報が記されていたのかもしれません。
東京都練馬区「石神井[sha-ku-ji]」の地名の由来と言われている古代の神「ミシャグジ」。石神井神社の御神体が石棒であるとの伝承が根強くあります。各地にある「御佐口」その他のミシャグジと同一の信仰対象だと思います。信州・諏訪大社の祭神・タケミナカタが出雲から諏訪の地に辿り着いて、彼の地を支配する以前に、土着の神として祀られていたと考えられるのがミシャグジです。この名は古代エジプトの生殖の神「Min」を象ったお守り「shabti」つまりミンシャブティだとの仮説を立てています。
しかし、一方で「御佐口」を祀る神社の社に「オシャモジ」が掲げられているケースが少なくありません。この理由を解明します。
[mi-sa-ku-chi]の発声を構成する音節[mi]は「水」、[sa]は「差し出す」、[ku]は「食物/食べる」、[chi]は「通り道」を意味内容とする原始語です。[ku-chi]は「食べ物の通り道」=「くち」、そのままを意味します。つまり、原始語では「液体を口に差し出す」=「しゃもじ」を意味していたことがわかります。
古代エジプトから伝わってきた生殖神の偶像の名とスプーンを表す土着の語の発音が似ていたことから生まれたダジャレだったのかもしれません。
音節[mi]が「見る/見える」を意味すると同時に「水/液体」を意味内容とすることがわかりましたので、ここで、古代でも生活に密着していたはずと考えられる「水」に纏わる語を解読してみます。
そもそも「み」が「水」を意味するなら「みず」[mi-zu]は何を意味するのか?当然、疑問が生じることと思います。早速解き明かしてみます。音節[zu]は「下垂」を意味しますので、水/液体を意味する[mi]と連ねれば、「垂れる液体」を意味することがすぐに分かると思います。池の水のように滞留したり、川の水のように流れるのではなく、滴り落ちたり、注がれたりする状態を表していることがわかります。
波(なみ)[na-mi]は、「音の放出」を意味する[na]と組み合わされて、「音が鳴る水」を意味内容として、海(うみ)[u-mi]は、「唸り」を意味する[u]と組み合わされて「うなる水」を意味内容とすることがわかりますね。
砂(すな)[su-na]は、「消失/不可視」を意味する音節[su]と「なみ」の[na]を組み合わせて「音の放出が消える」を意味していることが分かります。「ザザーッ」と打ち寄せる波音が砂浜に到達すると消える様子を表現しているのですね。確かに波そのものは波打ち際から返すので消えはしません。砂浜に到達して消えるのは波音です。
「火/日/陽」の「ヒ」[hi]は、現代でも単独の音節が火を連想させる概念と直接結びついた語群の発声として見いだせるので、原始言語でも「火」を意味内容としていたという結論に飛びつきたくなります。しかし、「掌(てのひら)」や「額(ひたい)」、「膝(ひざ)」、「肘(ひじ)」等の身体の部位名や「菱(ひし)」にも見出せるのはなぜでしょうか?「火/日/陽/灯」の意味内容からの解読は難しそうです。
ここで考えてみたいのが、ミギ[mi-gi]とヒダリ[hi-da-li]です。幼少期に「お箸を持つほうが右でお茶碗を持つほうが左」と、本末転倒な定義にも関わらず何となく分かったような気にさせる教示を受けたことがある方も多いんじゃないでしょうか。「南を向いたとき東の方が左で…」とかいうのも酷い定義ですが、たしかに、空間上の方向を客観的に表現するのは難しいことです。
ミギとヒダリは、カミとシモと同様に、語感に対称性が感じられないですね。方向を直接表現していないことは示唆されますが、語源の解読対象としては、なかなかの難物の予感です。ウェブ上には「〜と言う語が転じて〜」というような諸説が山ほど有りますが、私達には古代語の辞書=Lexiconという強い味方があるので、ここはまず素直に直訳してみましょう。
[mi]の意味内容は「見る/見える」で、[gi]は「芒/芒型/涙滴状の形状」を意味しますので、[mi-gi]の直訳は「 芒型に見える」です。
一方、「ヒダリ」の[hi]は「火/日/陽, 」そのものだけではなく、「光や輻射のもたらす温感」や「温感を感知する系」を意味すると考えてみることにします。音節「ミ」が「見る」という意味内容のみではなく、視覚の対象物も含めた視覚をもたらす系全体をも意味内容としていたのと同じ考え方です。
※なぜかというと、言語の創成期にあっては、生まれたての言葉のみで充分な意味内容の伝達ができたはずはなく、補助手段としての身振り手振りや描画を併用したことが十分に想定されるからです。描画はそのスキルが高くないと意味内容の伝達手段としての機能を果たさないので、主に身振り手振り=gesture(ジェスチャー)が用いられたに違いありません。つまり、未熟な言語表現よりもジェスチャーの方が成熟した確度の高い伝達手段であった時期の方が先行していたと考えることには無理が無いわけです。このことは、ジェスチャーによる意味内容の表現が、同時に表現される発声の意味内容を定義していたことを示します。例えば、「タ」は手を挙げたり手で放物線を描くようなジェスチャーで表現されていたでしょうし、「ル」は手や腕で輪を作るジェスチャー、「エ」は手でC字型の欠円をつくり、「ギ」は手指の関節を伸ばした状態で親指と他の指の腹を接して涙滴状の形状を作るジェスチャーで表現されていたに違いありません。
※言語を習得する前の幼児がそうであるように、ヒトの意識活動はイメージによる記憶法・思考法が言語的な思考に先行しています。人類の言語が未発達であった時代には、イメージを介した思考が支配的であったことは容易に推測されます。事物や思考を伝達するためのコミュニケーションにも、イメージを共有できる表現が用いられたはずです。身振り手振りを用いた映像的な意味表現が概念の共有に最も有用であったのでしょう。
ところで、「ミ」は「見る」行為や感覚のみを意味内容とするのではなく、知覚の対象物をも意味していたことの典型的な例です。「見る」を表現するジェスチャーでは目を指さして視線の先にある物を指さすことを考えるとわかりやすいと思います。
同様に、音節「ヒ」は「火/日/陽/灯」とこれらから輻射される熱(赤外線)を受けて温感を感じる被照射物をも意味すると考えた方が合理的です。
手の掌紋がある側を[hi-la]と呼ぶことと、「冷感」を意味する語が[hi-ya]と発声されることも考え合わせると、[hi-la]の語源は掌が感知する「温気」と強く関係することが考えられます。決定的なのは、「温感」をジェスチャーで表現しようとすれば、火に掌をかざして手を温めるポーズをとりますよね。「掌」自体の名称も[hi]と発声されていたことが強く示唆されます。
[da]は「渦, 巻物」で、[li]は「重ね」ですので、[hi-da-li]の直訳は「温感の系+渦+重ね」と解することができます。
ところで[ha-da]の回で、[ha]は「末端」で[da]は「渦」を意味しているので、[ha-da]が「指紋」を意味する、と書きました。[hi-da]の[da]も指紋/掌紋の渦模様を意味すると考えることができます。いずれにしてもヒダ[hi-da]は「てのひらのヒダ」と解釈することで正しそうです。
結論としては、ミギは「ノギの形に見える(ようにする方)」でヒダリは「ヒダが重なる(ようにする方)」と考えれば合理的な解釈が成立しますね。つまり、意訳すると「食物をつまむ方の手がミギで、食物をよそる方の手ががヒダリ」というオチです。現代でも、何かものを食べるジェスチャーは、左手を皿状にして、右手は箸を持つように親指と関節を伸ばした人差し指でノギ状の形状を示しますね。まったく同じです。
もしかしたら「お箸を持つ方が…。」は古代から伝承されている教え方なのかもしれません。
「聖(ひじり)」[hi-ji-li]という語は「ひだり」と似ています。別の項で述べるように、この語に現れる「ひ」も「掌」を意味内容とし、「ヒジリ」は「合掌」を意味していると考えられます。
ニンニクのことをやまとことばでは「ヒル」といいます。野生の小粒のニンニク「野蒜(のびる)」は山菜として馴染みがあると思います。この「ヒル」[hi-lu]の語源を前述の「掌」[hi]を用いて解読してみます。音節[lu]は「円/球/輪」を意味内容としますから、直訳としては「掌+球」で良いでしょう。その解釈は、掌を丸めた状態の「握りこぶし」が適当だと思います。ニンニクの外観を的確に表現していることから、音節[hi]が「てのひら」も意味していたことの傍証になりえると考えます。
「**彦」という人名が少なくとも記紀の時代から現代まで用いられています。才能や容姿などが「秀でた人物」に対する美称とされています。
一つ目の音節[hi]が掌(てのひら)を意味すると解せますので、広い範囲の強調を表す二つ目の音節[ko]と組み合わされて「硬い掌」を意味すると理解できます。高い手作業のスキルを持った人物の手にタコができて硬くなっている様を表現して、「才能のある人物」の呼称としたことがよくわかります。
「探求」を意味する”quest”と「問い」を意味する”question”は同じ語源を持つ語で、どちらも「たずね」を意味内容としています。日本語でも「訪ね」と「尋ね」はどちらも「タズネ」です。
有史以前に多用されていた良質の黒曜石の産地は、長野県の和田峠など数カ所に限定されていたようで、それが日本各地の遺跡から発掘されています。旅する古代人によって運ばれたのでしょう。文字の無かった時代の旅人は道を訊ね尋ねて、目的地を訪ねていたに違いありません。
古代人が、お互いの意思を伝え合える言語を獲得するまでは、当然、言語を発することで遂行できる行為は無かったわけで、その行為を表す語も無かったわけです。だから、時代を遡って言語の創成期に辿り着ければ「言語を話す」ことに関係する言語表現が無くなることは容易に想像できます。逆もまた真でしょう。
今回の研究では、「言う」という語が[i]=「発現」と[u]=「唸り」から成り「うなりを発する」という意味内容の表現であることを見出しました。まさに「唸り声」が「言葉」になった時の証人であるに違いないと思います。
「タズネ」の意味内容を解読すると、[ta]=「あげる」、[zu]=「下垂」、[ne]=「音」が連ねられて「(手/腕を)上げ下げ・音」が表現されていることが解ります。この語も言語を介した行為を表していないことは明らかで、かなり早い時期に作られた語だと思われます。
現代でも行われる「肩をポンポン叩く」行為や「ドアをノック」したり、「テーブルをトントン」して注意を引く行為を表現していると考えると自然です。いきなり手を握ったり、目の前に立ちはだかったりする行為ではなく、「肩をポンポン」ですね。
遥か昔、何かを求めて旅に出ても、道標に文字が書いてあるわけもなく、筆記・発声によるコミュニケーションも成立しないわけですから、家を見つけては戸をノックしたり、人を見つけては肩をポンポンして、目的地を象徴する物をトントン指し示し「この地に行くにはどうすればいいか知りたい」意思を伝えることになったに違いありません。
ちなみに、遠方にある目的地を訪ねる行為を「旅(たび)」といいますが、この語の語源は、音節[ta]に「黍(きび)/杖(つえ)」を意味する音節[bi]が組み合わされて「杖を掲げる」であることがわかります。「タビ」して目的地を「タズネ」るときに「上げ下げ」していたのは手や腕だけではなく「ビ」=杖でもあったことでしょう。この場合の「ネ」はコツコツと杖を突く音なのでしょう。
ではなぜ、旅は「タツエ」ではなく「タビ」なのでしょうか?その訳は「ツエ」[tsu-e]の語源を解き明かすとわかります。音節[tsu]は「指す/刺す/突く」を意味し、音節「エ」[e]は「欠円/C字型」を意味しますので、「ツエ」[tsu-e]の語源は「持ち手がクルッと曲がったステッキ」であることがわかります。つまり、「ツエ」は「ビ」の一種であるので、広義の杖を意味する「ビ」を用いた「タビ」の方が「タツエ」よりも一般性が有ったので定着したのだと解せます。
余談ですが、クエストというと映画「十戒」の中で太い杖を掲げたモーゼのイメージです。
「尋ね」があれば「答え」もあるでしょう。「こたえ」という発声を伴う語は「応え」もあれば、責められたり攻められたときにダメージが自覚できることを表現する「堪え(こたえ)る」もあります。一つ目の音節「コ」[ko]は強調や特定を表現します。「まさに」や「すごく」とか「とても」、「たしかに」に相当する意味内容を持つと考えられます。二つ目の音節「タ」[ta]は「たずね」にも現れ、「(主に手・腕を)あげる」を意味内容とし、三つ目の音節「エ」[e]は「繋がっていない円環」つまり「C字型」を意味すると考えられます。
これらを連ねて構成される[ko-ta-e]の直訳は「強く手を挙げ、欠円形状」となります。意訳としては「両手を高く上げる」といったところが適当なのではないでしょうか。つまり、距離を隔てた相手が自分に対して何らかの合図や呼びかけをしたことに対して「自分が応答している」ことを示す動作や、いわゆる「お手上げ」状態を表現していることがわかります。それぞれ現代語の「答え/応え」「堪え」に対応していることがわかると思います。
自らの物理的な大きさを誇大に主張する動作は動物界では示威行為である場合が多いのに反して、人間が両手を高く上げる動作が東西を問わず「降参」や「服従」、さらに掲げた手を振って「友好的な意思」を意味するのは、人類の進化のかなり早い時期から、道具が同時に武器であったことと関連しているのでしょう。「丸腰状態」の提示による服従性の表現の強さが、動物的な示威行為による脅威の表現の強さを凌駕していたわけです。
横浜の桜木町。東京、神奈川、埼玉の人には京浜東北根岸線の電車の行き先でお馴染みだと思います。入場料無料の動物園があったり、呑兵衛のパラダイスで有名な「野毛」が、この一帯の元々の地名でした。
ここでは「野毛」[no-ge]の語源を解明します。
実は、東京都世田谷区にも地名「野毛」はあります。このことから「ノゲ」が固有の名称ではない可能性が強く示唆されました。
構成する音節は2つしかありません。一つ目の音節「ノ」[no]の意味内容は「野」です。「野原(のはら)」の「野」そのままの意味です。
一方、音節「ゲ」[ge]は現代語では「影」[ka-ge]、「焦げ」[ko-ge]、「逃げ」[ni-ge]、「髭」[hi-ge]、等に見出すことができますが、これらの語の持つ意味内容に共通の概念要素を見つけ出すことは困難です。
※...という話をすると、学校の「文法」の勉強で習った「動詞の連用形の名詞化」を思い出す方もいるかもしれません。「~げ」は「~ぐ」の連用形だ、という意見もあるかもしれません。しかし、本当に「動詞が名詞化」したのでしょうか?名詞的な語が先行していたことは無いでしょうか?言語の進化過程を推測して考えれば、そもそも言葉の創成期に(プロト言語には)品詞の別があるわけはなく、今回の発見も、法則性がほとんど皆無の日本語の「文法」を再考する良い契機になるのではないかと期待します。例外ばかりで法則性が希薄、仮にわずかな法則性を見出すことができても、それを論じることで新たな価値を生み出せないのであれば、「文法」そのものの存在意義の再考も必要かもしれませんね。
「影」と「焦げ」からは「黒(化)」の概念が有力な候補として挙げられました。しかし「逃げ」[ni-ge]との関連は何なのでしょうか?音節[ni]は貝や甲殻類などの殻を纏った生物を意味します。「貝類」と「焦げ」?「逃げ」?個々の語の意味内容ではなく、周囲の状況をも含めた考察から辿り着いた連想は「逃げ」=「踊り焼き」です。活きた貝類や甲殻類「ニ」をグリルする、すなわち「ゲ」すると「ニゲ」る、ということだったのです。音節「ゲ」[ge]は「焼く、黒化する」ことを意味内容とすることがわかりました。
つまり、「ノゲ」は「黒化した野原」あるいは「黒化する野原」を意味することがわかります。一般的に、いわゆるランドマークを用いた地名が定着するためには、そのランドマークが継続的に存在するか象徴的な状態が恒常的に認識できる必要があります。
どうやら、焼畑農業や定期的に野焼を行なっていた地や火葬場として常用されていた野原が「ノゲ」と呼ばれていたのだと考えられます。
静止状態を維持したり、忍耐することに対応する擬態語のような「ジッとする」という表現は現代語でもよく用いられています。音節「じ」[ji]を含む語には「舵(かじ)」や、この語を構成する二つの音節の順を入れ替えた「直(じか)」もあります。「呪い(まじない)」は4個の音節からなるので、これまでの考察からすると文章的な表現の匂いがしますね。
音節[ji]は、現代語でも用いられている擬態語様表現の意味内容の通り、「静止/不動/停止/沈黙」のような物理的な静穏状態を意味する表現であると考えられます。
古代の船の舵(かじ)は進行方向を定めるために、水流に抗して目的とする方向に船が向くまで、人が力を込めて支持し続ける必要があったはずです。古代語としては「語順」が入れ替わった状態に相当する「直(じか)」は直接事物にかかわったり触れたり、即時的に行動することを意味します。つまり、何ものも介さないことを意味します。
どちらの語も、心理的な困難や苦痛を意味内容とする音節[ka]と静止状態を意味内容とする音節ji]が組み合わされることで、「忍耐/堪忍」のような表面的には静穏でも精神的には負荷が掛かっている状態にかかわる意味内容の表現としていることがわかります。
[ka-ji]の場合、「困難」の表現を先行させることで、暗に主体(舵を切る人)の存在を先ず示してから、述語的な「静止している/静止する」を発声するようになっています。「頑張って抑え続ける」ジェスチャーの言語的な表現なのでしょう。一方、[ji-ka]の場合には、「ジッとしてる」という原因に相当する表現に追従するように、結果としての「困難(な状態)」を発声することで、「ジッとしていたらつらい、もどかしい」という因果関係を理解できるように表現していることがわかります。しかも、さらに当然の帰結としての「~だから、堪えられないので直接手を下す」という意味まで内包した表現として継承されてきたのだと考えられます。
「聖(ひじり)」[hi-ji-li]という語は、掌(てのひら)を意味する音節[hi]と静止状態を表す音節[ji]に、重ねることを意味する音節[li]を連ねて構成されています。「掌をジッと重ねる」という意味と解せます。現代でも文化的な背景が異なっても、多くの人が何かを祈ったり願ったりするときに掌と掌を重ねます。多くの古代文明の遺物の絵画や彫像に「合掌」していると思われる描写が認められます。先史時代から人類の思念に密接に結びついてきた行為であると考えられ、この行為を表現した発声が聖なる物や人物、行為を表す語として継承されているのだと考えられます。
「呪い(まじない)」は、現代語ではオドロオドロシイ妖しい行為としての意味が支配的です。しかし、構成する音節の古代語としての意味を読み解けば、本来の語意がよくわかります。この語の前半部分は、大地を意味内容とする音節[ma]に続けて音節[ji]を発声し「大地の静穏(状態)」すなわち所謂「地鎮」を表現していることがわかります。後半部分の音節[na]は「音の発生」を意味内容とし、物が「音を発する」ことやヒトや生物が「泣く/鳴く」ことを表現していると考えられます。
ヒトの声や歌に対しては「言葉をイウ」と表現したり「歌をウタウ」という様に「唸り」に対応する音節「ウ」[u]が用いられますが、「泣く」に対しては音波放出一般の表現である「ナ」[na]が用いられています。動物の「鳴く」にも同様の表現を用いるのですね。音の(基本周波数の)高低で「ナ」と「ウ」を使い分けていた可能性よりも、音の継続時間の長短で区別していた可能性が高いです。
「マジナイ」に現れる音節「ナ」もヒトが「泣く」ことと解釈してよいでしょうか。一見、「ナ」は楽器などの音色でもよさそうですが、これに続く音節「イ」[i]が自発的な「発現/発生」を意味することを考慮すると、奏者が必要な物が生じる音ではなく、ヒトが発する「ナ」であると結論するのも理に適っているように考えられます。
現代語で嗚咽することを「むせび泣く」と言います。「ムセビ」[mu-se-bi]の意味内容を解読すると、脈動を意味する[mu]、体形を意味する[se]、"J"字型を意味する[bi]をつなげて「背を丸めて繰り返しヒックヒックする」様子を表現している語だとわかります。「すすり泣く」は文字通りの意味だと解せます。広がりを意味する[li]は流れ出た鼻水に違いありませんし、消去を意味する[su]を繰り返して、垂れた鼻水を「スス」っている様子を描写した表現に間違いないでしょう。いずれも「泣く」行為の形態を表現する語ですが、単に泣く行為に修飾語を付加しているに過ぎません。つまり、一般に「ナ」は泣く行為も意味内容としているのだと考えることができそうです。さて、そうなると地鎮の為にヒトは泣いていたのか、が問題になります。
しかし、「~ナイ」という"やまとことば"には「占い(うらない)」[u-la-na-i]や「紅(くれない)」[ku-le-na-i]もあります。マジナイと同様の手順で語源を解読してみると、「ウラナイ」は現代にも伝承されている占術の「釜鳴(かまなり)」であると考えられ、「クレナイ」は現代では深い赤色やべに色を指しますが、「食物を集める(夕暮れ)時に音が出る」ことを指すのだとわかります。「釜鳴」は釜で湯を沸かしたり煮炊きする際に生じる蒸気の噴出音や共鳴音で、吉凶を占ったり物事の前兆を判断したりする神事とされています。「唸る気体」が「音を発する」ことで「占う」という概念の表現の語であることがわかります。「クレナイ」の「クレ」は食べ物を集める時間帯「暮れ」または、集められた食べ物「塊(くれ)」であり、晩餐の用意をする煮炊きの音が生じることを意味する部分が「ナイ」であると解せます。黄昏時を過ぎ闇が訪れた夕暮れ時に調理のための火を焚き、炎で周囲が赤く照らされる様子が「クレナイ」であると考えられます。闇の中で炎に照らされたところだけがクレナイ色に照らされて視認できる一方、他の場所は音だけから行われている行為が認識できるので、音を用いた言語表現でありながら、後の時代に色を意味内容とする語と認識されるようになったと考えられます。ちなみに前述のように、音節「ユ」[yu]は「よく見えない」を意味内容とするので、「夕暮れ」の語源は「よく見えないところで(ときに)食べ物を集積する」と考えられます。
この2語の場合、「ナイ」は加熱することで自発的に生じる音を意味内容とすることが強く示唆されます。「マジナイ」のケースも同様であると考えると、その語源にかかわる地鎮のための行為でも火を用いた加熱によって(主に水蒸気の発生による)生じる音に注目していた可能性もありそうです。
いずれにしても、鎮めることを切望しなければならない大地の状態は地震、噴火(火砕流、降灰、溶岩流)、地割れ、津波、洪水、土砂崩れ(地滑り、土石流)、などの広範の天災であったことが想像されます。現代では土木工事や建造物の建設前に更地の状態で無事を祈って行う儀式としての「地鎮祭」が一般的です。今回解読した「マジナイ」の語源になった地鎮のための行為は、ヒトが切望するような大地の惨状の終息のためのものであったことがわかりました。
現生人類の進化に大きく関わったとされる「貝」。日本語のプロト言語では[ni]と発声されていたと考えています。この語は巻貝や二枚貝の貝類に限らず、英語圏で言うところのshellfishつまりエビ、カニなどの甲殻類、さらに昆虫などの硬い外骨格を持つ節足動物を広く指していた様です。カチカチの殻を持つ生物全般ですね。
〇 面白い用例には、紅[be-ni]があります。[be]の意味内容は「押し潰す」です。現代語にも残っている、潰す様子を表現するオノマトペの「ベッ!」ですね。
「節足動物をつぶす」を意味内容とするこの語[be-ni]、現代でも工業的に用いられている「カイガラムシ」を潰して得られる赤色の色素のことを意味します。「niをbeっとつぶすと真っ赤なベニ」!。研究成果に確信が得られた瞬間です。
〇 もう一つ面白い例として、[ha-ni]があります。素焼きの「焼き物」です。[ha]=「端、空間的末端、時間的終わり」と[ni]=「カチカチの殻」を組み合わせた語です。製作工程の「終わり」には「カチカチ」になることを表現しているんでしょう!
[ha-ni-wa]は語尾に「割る、割れ目」の意味を持つ[wa]が付けられています。この語は古墳時代の「埴輪」として知られていますが、「割られる」ことを前提に作られたと理解されている縄文時代の「土偶」が元々の意味だと考えられます。
〇 同様に「庭」の意味で用いられる[ni-wa]の元々の意味は「貝の溝」つまり「貝塚」だと推察されます。
〇 虹[ni-ji]の[ji]は旅路の路、つまり「貝殻の道」という意味内容を示しているんですね。螺鈿細工の材料に用いられるアワビなどの貝殻の内側のような七色の道が空にかかっているイメージなんですね。
〇 銭[ze-ni]の[ze]は「板状の材」なので「扁平な貝」、つまり古代のお金「貝貨」を意味するのだという事には少々驚かされます。
〇 「肉」[ni-ku]の[ku]は「食べる、食べ物」なので、「貝類の食べ物」と言う意味と解せます。
川/河[ka-wa]、沢[sa-wa]、庭[ni-wa]等多くの語に用いられている「ワ」[wa]のプロト言語としての意味内容が「割れ目/溝/亀裂」であることを先に述べました。川にゴロゴロ転がっていたり、地面に溝を掘ればゴロゴロ出てくる岩石の呼称である「岩(いわ)」の発声「イワ」[i-wa]は、この「ワ」と「発現/出現」を意味する「イ」[i]が組み合わされて「溝に出現する(もの)」を意味内容とすることがわかります。
一方、少なくとも日本の有史後には「石(いし)」[i-shi]が小振りの岩石の呼称として使われ続けています。この「シ」[shi]という発声、実は中国語の「石」の発音と一致します。[shi]が「広がり/海」を意味すると考えられるので、[i-shi]が日本語のプロト言語で組み立てられていると仮定すると、「出現、海」という意味内容を持つことになってしまいます。これでは「石」一般を表現した語としては合理性が低いと言わざるを得ません。おそらく、先住民族の言語として「イワ」が先に存在しているところに、中国語の「シ」の概念と発声が輸入され、その影響を受けてできた訛りなのでしょう。
抽象概念「時(とき)」[to-ki]です。原始言語のレキシコンを使って語源を簡単に解明できます。
[to]という音節は「平坦な土地」を意味し、[ki]は「木」ですから、[to-ki]の発声の意味は「平地に立つ樹木」、すなわち日時計を表すことがわかります。
現代人の抱く時間の概念というか感覚と、言語の創成期に生きた祖先が「トキ」にあてはめた意味内容は、ほとんど違わないようです。
抽象概念「数(かず)」です。原始言語を使って、この抽象的な意味内容を持つ語の語源を解明します。
「カズ」[ka-zu]の[ka]という音節は「困難/苦難」を意味し、[zu]は「ぶら下がり」を意味するので、[ka-zu]は「たいへん+ブラブラ」を意味することがわかります。
この場合の「ぶら下がり」を表現する[zu]の意味内容は、手指を曲げる(あるいは開く)動作だと考え、「カズ」の語源を「指折り数える」動作と考えるのが合理的だと考えられます。
神道は、日本で伝承されている数々の土着の信仰を包括的に表現したり解釈したり、あるいは制御するために作られた概念です。神道では「八百万(やおよろず)の神々」が信仰されている、という風に語られることの背景には、このように歴史的に多くの信仰が統合されて「神道」という概念が作り上げられたためだと解釈するムキも有れば、元来、日本人は万物や自然現象に神が宿ると考え信仰してきたからだ、とするムキも有ると考えられます。
しかし、「やおよろず」というヤマトコトバが八百万という数を用いた表現だと考えるには、強い不自然さを覚えることを禁じ得ません。そもそも特定の数を用いているのに、「非常に大きな数を表現している」という解釈には説得力がありません。ここで、あらためて音節の辞書を用いて[ya-o-yo-lo-zu]の語源を解読して、八百万の神々の謎解きを試みてみます。
「ヤオ」[ya-o]の一つ目の音節[ya]は、本記事の最初で解き明かした通り「三角形/錐形」を意味内容とします。二つ目の音節[o]は「多い/大きい」などの数や体積等で圧倒される感覚に結び付いた概念だと考えられます。これらの二つの音節を組み合わせた[ya-o]は「多くの(大きな)三角形/錐形(が有る)」を表現していることがわかります。
現代では「ヨロズ」[yo-lo-zu]の発声は単独でも「万物」を意味すると考えられています。ところが「暗闇」を意味内容とする[yo]、「岩盤」を意味する[lo]、「下垂」を意味する[zu]が組み合わされた発声の語源は「暗闇で岩が垂れ下がる」であると解釈されます。つまり、現代語で意訳すれば「鍾乳洞」であることがわかります。
同様に「ヤオ」は、鍾乳洞の中の「鍾乳石」や「石筍」であると解釈するのが自然です。
つまり「ヤオヨロズ」[ya-o-yo-lo-zu]は、「鍾乳洞の中の鍾乳石/石筍」あるいは「鍾乳石/石筍がある鍾乳洞」を意味内容としていることがわかります。「数」の概念とは直接結びついた語ではないこともわかります。
人類が竪穴住居を発明するまで、自然に形成された横穴や洞窟を居住空間として利用していたであろうことを示す遺構は多く知られています。生活用具の全てが収納された安住の地としての洞窟への思いが、後の「ヤオヨロズ」のもつ「万物」の概念へ展開していった可能性が考えられます。鍾乳洞は石灰岩が水によって穿たれ空洞が生じ、さらにその空洞を析出した石灰が覆うので、人工的な横穴に比べて落盤のリスクが少ないことを遠い昔の祖先は知っていたのでしょう。自然の造形としての鍾乳石には安定した居住空間のシンボルとしての意味があったのかもしれません。
これまでの議論で、日本語のプロト言語と考えられる五十音各々の意味内容:レキシコンを用いて、数々の「やまとことば」の語源を解読してみました。広範な「やまとことば」の単語の意味と整合する本来の意味内容が解読できることが示されました。相当な普遍性を以って演繹的に合理性が示されたことで、五十音の辞書を用いて読み解いた意味内容を語源と判断することの妥当性が証明できたと考えています。
過去に行われてきた日本語の起源の解明をめぐる議論のほとんどでは、現生人類の移動に伴う言語の伝播過程を「発声法や語の類似性」を基盤に探っていく、という手法を用いています。ゲノム解析や遺物の分析を用い、この仮説の証明の補強も盛んに行われようとしています。
これらの解明作業が人類の移動と言語の伝播という二つの流れがシンクロして生じたという仮説を証明することにフォーカスしていることには注意が必要です。先史時代(文字が無かったことと同義)の言語文化を探るために文字の発生以降の、つまり現代語に近い言語体系を頼って「言語の類似性」を検討しているという事にも注意が必要です。また、現生人類の多くは複数種の人類を祖先にもつことがわかってきています。最後にアフリカ大陸を発った種以前に、すでに他の種が固有の言語体系を持っていた可能性は十分にあります。ごく少数の言語起源からの広域に渡る連続的な伝播よりも、多数の局所的な言語の発生と発達が支配的であったと考える方が自然です。
本稿で示されているように、日本語の単語の意味は、それを構成する基本要素である音節の意味内容を連ねることで定義されていることがわかりました。つまり、文字文化が輸入された時期には、日本語で用いられる語は既に複合語になっていたことが示されたのです。冒頭で触れたように、語が「入れ子(ネスト)構造」になっていることは、日本語の特徴の一つです。一般に、ネスト構造を持つモノを解析するためには、その構成要素に還元する作業が先行する必要があります。
既に複合する意味内容が組み合わされて構成されている古語(やまとことば)を他言語と比較して、類似性を評価することでは求める解を得られなかったのです。ヨーロッパ語族のように比較的容易に語源を求めることができる言語群は、類似性や伝播経路を論じることが可能であったことも「一元発生と異方性の高い伝播」という幻想をもたらした要因の一つなのではないかと思います。語源があいまいな言語の伝播経路の解明は、そもそも困難であったのです。
この度の作業で、初めて大和言葉が構成要素に還元され、その要素の意味内容が解明できました。究極の単純な発声の要素である音節に意味内容が与えられていたのです。まさに「ウホウホ言葉」と呼べる程の始原的な言語であることが示されました。これ以上還元することができない語で構成される言語が示すことは独立起源にほかありませんね。
やまとことばは原始言語から直接構成されたものだったのですから、他の言語を起源として伝播、発達した言語であるというスキームには当てはまらなかったのです。当然、仮説を変更しなければその証明はできなかったのです。
我々の祖先が、集団の中で共有し伝承するために限られた数の短い発声にエッセンシャルな物、現象、物性、感覚を割り当てて発明した日本語の原型である原始言語の意味内容:セマンティックコンテンツは、音声言語以前のジェスチャーによる情報伝達の補助手段に供するために抽出された本質的で特徴的な概念:コンセプトであることがわかります。人類の事物の認識と概念の抽出の結果に直結した極初期段階の言語の形態を有している日本語の音節群が他の言語の系統とは独立に創造されたプロト言語であるのは間違いないでしょう。
つづく